お次の掘り出しは,石上宅嗣(イソノカミ・ヤカツグ)ね。石上宅嗣卿 / 石上宅嗣卿顕彰会. -- 石上宅嗣卿顕彰会, 1930 5千円 函
これも相場は8千円から1万円以上。うきゃーヾ(≧∇≦)ノノ
芸亭院の真実とはっ(`・ω・´)
この石上宅嗣くんについてなんだけどさ…
司書課程の教科書なんかには,こう出てくる
日本における初めての公開図書館・芸亭(うんてい)をつくったひと
ってことになってるけど… これは… かなりへんてこな話なのだ。
奈良の都で彼が自宅においた蔵書を公開したということなのだが…
いや,そーゆー史実があったことはショクニホンギに書いてあるからカナーリ確実ではある。なにがヘンテコかっちゅーと…
公開図書館
って概念がヘンテコ。おそらくどの図書館学者に聞いたところで,定義は教えてくれないはずだよ(・∀・) だって,そんな言葉,学界用語でも業界用語でもないから(って,またよけいなことを言ってしまうわちきであった…)!!!
公共図書館とか,公立図書館って言葉ならあるけどね。
だから,この「公開図書館」って言葉は一般語。とすれば,いま・ココでわちきが解釈していっこうにカマワナイ。
公開図書館とは,たんに「公開された図書館,公開度が比較的高い図書館」って意味なんだろうねぇ。けど,それだったら,実は図書館とは言い難いのではないか。あるいはトートロジー。しろい白色,みたいな(・∀・) というのも…
明治時代に,それまであった「文庫」という言葉とは,別に,あえて,さらに,「集書院」「書籍館」「図書館」なんちゅー新語がむりむり新作された。それはなぜか。それは,とりもなおさず物理的にはおなじ本の集積でも,米欧回覧した連中がみたビブリオテーキ,ライブラリーなるものは,「文庫」とは,なにやらどうにもチガッテル,としか見えなかったからなのでは。
その違いは「公開」性にあったとわちきは思いたい。
基本的に閉鎖的というのが文庫(例外的に公開される)
基本的に公開されるのが○○○(例外的に閉鎖される)
○○○には,集書院でも書籍館でも図書館でもどれでもいい。けど文庫ってのはやめようね,というのが明治はじめの日本知識人の合意だったわけ(もちろん,それがいいことだったのかといえば,わちきは「文庫」で押し通したほうが良かった気がするが)。
さあ,いそのかみ・やかつぐ君の芸亭院(うんていいん)はどっちでしょーか?
('0'*)やぱーり,「例外的に公開された」文庫としか表現できないね!
芸亭は公開文庫! 芸亭は公開図書館にあらず! 芸亭は図書館でない!(しつこいね) これは… またまた日本図書館史学のスキャンダル!
芸亭は,文庫(せいぜい「公開度の高い」文庫)
\(`・ω・´)ビシッ これが芸亭院の真実…
なーんて,ことはじつはマクラにすぎんのだ(o^∇^o)ノ キャハハ
史実だけでなく史学史も
芸亭が図書館か文庫かなんてゆー神学論争なんかはうっちゃっといて…(ってさんざひっぱり廻したから怒った?)
ここで重要なのは,たんに公開文庫にすぎない芸亭が,なぜ,しろい白色,じゃなかった「公開図書館」なんちゅうトートロ用語までこさえて騒がれねばならなかったのか,なのだ。
そう,わちきが問題にしたいのは,芸亭の史実でも,その史学的な概念規定でもなく,それをさわいだ大正末から昭和初年の図書館界なのだ( ・∀・)ノ
司書(図書館員)という職種があらわれた
日本にほんとうに最初の(^-^*)図書館が1コできたのが明治5年(官立の「書籍館」)。それからすこしづつ殖えて,明治25年には「日本文庫協会」が発足して,それが「日本図書館協会」に改名*1したのが明治41年。帝国大学に専門職種たる「司書官」「司書」が置かれたのも同年。前年には業界誌たる『図書館雑誌』が創刊されていた。
それらの助走をへて,大正から昭和初年には,たんなる倉庫番でない司書という職種が,ようやく自意識を覚醒しはじめていたといえまいか。
わちきは,その証拠のひとつが,この石上の顕彰運動だと思う。
守護聖人としての石上宅嗣
キリスト教社会に守護聖人というものがある。これは,特定の個人なりグループが天国にはいるさいに手引きをしてくれる偉い人のこと。それぞれコネが天国にあったほうが入りやすいよね(行政手続的にはまずいかもしれんが)。
で,大工の守護聖人は何々とか,職業ごとにもそれがある。
わちきにいわせれば,いしがみたくじ君は司書という職業集団にとっての守護聖人なのだわさ。なにも,おおかたブッディストたる日本司書がキリスト教天国に入りたがったってわけじゃなくて,社会史的にみれば,守護聖人があれば,それは社会的に独立したグループだちゅーことがいいたいわけ。
つまり,明治後半から大正期に,ほかの職業とはちがう司書という職業集団がされ,かれらが,
オレらって,ほかの仕事とはちがうよな
と思い始めたその時に,守護聖人がでてきたのではないか(石上顕彰運動は大正期からあった)。
司書職の独立は大正時代?
うん,わちきの図書館評論史観をここでご披露すると…
と,ここに宣言するのだ。
だから,司書課程を修められるみなの衆よ。「図書及び図書館史」で石上宅嗣の芸亭がでてきたら,奈良時代に外典(儒教の本)を読むみやこびとを想起するよりも,昭和5年に天理図書館にあつまった図書館界のお歴々(新村出など)を想起してくらさいまし。
守護聖人が,ほんとうにある特定の職業と合理的・実証的関係があるかないか,という問いはおそらく無意味。そうではなく,守護聖人がいるグループこそが,イデオロギー的に独立した社会グループだ,という解釈をしたほうがいい。
帝大の「司書官」を中心とした学術司書がリードする館界は,昭和17年の司書の資格試験(目録の知識が中心)をもって形式的・理念的にはひとつの完成をみたといいうる(いまの司書資格には検定試験がないのもバカにされる原因だと思うよ)。