書物蔵

古本オモシロガリズム

media mix

よく友人Fから質問ともぼやきともとれるメールを受ける。その場で即答するのがオモシロイのだが。
ばくぜんと,神様セドリ様のブログをみていたら,しばらく前うけたものを思い出した。
かみさませどりさんのとこは,真っ黒けなデザインで,あやしげだけど(だから?)おもしろい。数日前も,名作番組「ウゴウゴルーガ」のことがでてきてた。初期の「ウゴウゴルーガ」は名作,という話で,強烈に,あのころのがみたいなぁと思ったのだが,それと,このまえのFへの返信がむすびついたのだ。

Internetで本はなくなるか

Fは

最近,図書館情報学なるものではInternetのことしか話題にしない

ということを述べ,紙メディアの行く末に疑問をなげかけていた。
ははぁ,日本図書館情報学っちゅーか,学問ってのはジャーナリズムに似たところがあるからね。Novelityのあること(奇矯なこと)しか話題にしない。それを真にうけちゃ,だめだす。
Internetの普及前にいちど考えたけど,たしかに紙メディアの重要性は漸減していくだろうが(というか数百年まえから漸減しつづけてる),なくなるということはない,とお答えしておいた。
とゆーのも,現実に,いままでのメディア史がそうなってない。
図書のつぎに雑誌,そして新聞,ラジオ,テレビと新しいメディアはいろいろでてきた。そのたんびに「古いメディアはなくなる」というって「」があったわけだが,その現実はといえばかならず,

旧来のメディアが担っていた一部を新メディアが確保するという多チャンネル化が生じただけ

だった。
だからInternetで,旧メディアがなくなるということはない。テレビ局がつぶれるか,といえば,そんな気配ないし(まあ新聞社は1社ぐらいなくなりそうですが)。結局,コンテンツに即してメディアのシェアの変化があるだけ。
でも,まー,internet以前に図書を代表とする紙メディアのアウラが減ったのは確か。わちきが古本道をお休みしてたのも,そこいらへんにも原因があるかも。
で。
これは前ふりにすぎくて,いいたいのは,テレビ番組,ラジオ番組へのリファーができないのは困る,ということ。そしてネットも。

なぜにリファーできないとまずいのか

もちろん,わちきみたいに,単なる懐古趣味で,むかしの番組が見たいというのなら,さして社会的に有意義なニーズにはならんかもしらんけど(経済的なニーズにはなるけど,市場が形成されるほど,その経済ニーズが大きくならない),批評とか研究,調査とかで,資料として番組をリファーしようと思ったとき,できないのがこまる。
その点,紙メディアってのは,再現性100%だからすぐれもの。とにかくなんらかの形で残ってれば,読みとり可能ですからね。
文系の学問や妥当な知識体系ってのは,リファーの森のなかではじめて妥当性をもってくるから,それができないということは,たとえば,テレビ番組についての妥当な批評や研究はできんということだし,一般的な学問の資料としても,テレビ番組は使えないということになる。
ネット上には,従来,紙メディア上に展開されていた種類のコンテンツがあるけど,安定性に著しく欠けるから研究や批評の根拠には使いづらい,というかほとんど使えない。
それらを保存するうごきもあるけど,とりあえず日本では頓挫しましたしね。
いつまでたっても,妥当な批評や学問には紙メディアが欠かせないのだ。

多チャンネル化した情報流通

結局,

メディアは多チャンネル化するだけ

なのだ。
で,リファーする側から問題なのは,逆に古いほうのメディアがなくなってくれないことなのだ。
チャンネルが増えれば増えるほど,チャンネルを変えるのがむずかしくなる。というか,それぞれのチャンネルの使い方を憶えていかなきゃいかんから面倒なのだ。
図書館の蔵書目録みたいに,紙メディアは廃絶して,オンライン目録だけになりゃー,それはいいんだけど。
結局,コンテンツによっては,図書でしか入手できないもの,雑誌でしかないもの,新聞原紙じゃないと読めないもの,ネットでも有料のもの無料のもの,などなど…
あのー,

普通の人って,こんな多チャンネルの世界を渡りあるくってこと,とてもできない

んじゃないですか。
おそらく,図書が滅んでも,多チャンネルをエンドユーザが選ぶのに必要なメタ情報をつくる仕事ってのはなくならないんじゃないかな〜

司書課程の悪口をさんざ書いてきたけど,実は…

わちきは,たまたま,ひとむかしまえ図書館情報学なるものをひととおりならったおかげで,どのメディアでも,それなりに「使う」ことができるから,たのしい(さすがに「作る」ほうはしない。だからブログなんぞをやっておる)。
ただのブール演算でも,ならわないとフツーのひとはできないし。ましてや階層化された分類をつかってOPACをひく,ってことはしようとも思わない。けど,これがまた,使えるんだなー。
司書資格もらっても,図書館員にはほぼ絶対なれないけど,すくなくとも,さまざまなメディアがあることや,最低限度の情報検索の知識はえられる。
だから逆に,一般大学生全員に,司書課程(の一部)を必修化してもいいくらいだ
たとえば。
旧態依然たる主題標目が,opacの中では,びしりびしりと必要充分な検索集合を形成していく。
でも,米国とちがって,日本じゃあ図書館員すら使い方がわかってないし。教科書的知識をおさらいしてから,新しいことをやりませう。(いちど,闘病記の分類について詳述したよね。)
わちきは趣味につかってますけど。