書物蔵

古本オモシロガリズム

 学者の図書館談義(その1)

ネット上の友人におしえてもらった記事をやっと読めた(^-^;)。育った場所のちかくに公共図書館がなかったせいで,本・雑誌は買うか読まないかのどっちかだから,買わない雑誌の記事ってのは読むのがたいへん。
図書館の怪人--知の宝庫に隠棲する珍談・奇談 / 井上 章一 ; 磯田 道史.現代. 39(5) [2005.5]
なんか,図書館の怪人っていう小説があるみたい。そのもじりかな。磯田さんってのは日本史研究者で,『武士の家計簿』ではじめて実証的な家計調査をした人。新書よんだよ。おもしろかった。
井上さんは……,風俗研究家。
っていうと,フーゾク産業のルポ・ライターみたい。どこのお店のだれだれちゃんがナントカとか。でも,井上氏は文字通りの研究家なんだわさ。風俗に関する遂行知でなくて,説明知の専門家。
で,自分としては井上さんの本は最初に買った本が面白かったんで(『美人論』),結構買って読んでる。

井上氏の芸

最近,文体がやや読みづらくなってきているけど(句点を多用しすぎだと思う),相変わらず論法が巧み(というか演出が)。やっぱり学習可能な「研究」というよりも,伝授困難な「芸」だす〜。だから研究者というより研究家。じつはひそかに芸をまねたいと思っているのだ。
ちょっとまえ,氏が編集の『性の用語集』(講談社現代新書)を読んで思ったのは,氏はその芸風を後進たちに伝授しようとしているなー,と。ご自身もたしか『パンツが見える』の序文で述べていたけど,アカデミズムの本流では,性風俗をわかりやすく記述するのは忌避されるから,ひろく民間研究家をそだててんのかなー,なんて。
でも『性の〜』にはいささかのアヤウサを感じた。遂行知系の人たちの当為論がビミョーに入っている気がしたよ。

「井上文庫」

で,記事の本題なんだけど,井上先生の在籍する日文研国際日本文化研究センター)には,磯田先生が「井上文庫」と呼ぶコレクションがあるのだそうな。そこには…「80年代に一斉を風靡したアイドルの写真集がずらりと並んでい」るという。
井上せんせの動機は,たまたま全く自由に使える図書費が年50万円あったことと,

そんなものを所蔵している国立の図書館はほかにはない,これは意義のあることだと思いましてね。

というもの。同業他社との差別化戦略としてコレクションしたってわけね。
で,磯田氏によると,電動書架に収められているという。でも書架をうごかすボタンを押すのはハズカシイそうな。磯田氏は,自分のなかの儒教的な感覚にそのハズカシサの原因をもとめているけど…,だれだろうがきっとフツーにハズカシイぞ!(笑)

国家が軟派ものを迫害? いやいや「社会が」では

で,話は急転して,公的図書館の蒐集は「国家の思惑に左右され」て,軟派ものが弱いという話に。「国家」を持ち出してきたのは磯田氏だけど,ここでは国家意思というよりも,社会規範の問題だと思うぞ*1。井上氏も期せずして言及しているけど,

国会図書館は)どんなにしようもないと思われるような本も律儀に残していてくれていますから(笑)。ただそれは社会の縮図を作りたいから残す,という意識からではなく,単純に国立国会図書館法という法律で決められているからなんですが…

いやいや,法律があって機関もあり行政実務も存在するのだから,むしろ国家意思としては「世の中を縮小した模型」をつくろうとしている,としかみえないよ*2共産党とか野党がいるからイメージ的にはあやふやだけど,国会といえど国家機関ですから。三権分立のもとでも近代国家の国権はひとつだよん。
(この項つづく)

*1:もちろん戦前は別。

*2:もちろんそこの従業員たちがそーゆー意識をもっているかは別