書物蔵

古本オモシロガリズム

 東亰(とうけい)時代のライブラリイ「書籍館」!

東京は,いまはトウキョウ(Tokyo)と読むよね。でもトウケイ(Tokei)と読んでもよい時代がありやした。漢字も,「東亰」なんてオシャレに書いたりして(亰は京の異体字)。武州江戸(江都)が東京府に…。近代のたちがありでげす。
東亰時代 / 小木新造. -- 日本放送出版協会, 1980.8. -- (NHKブックス ; 371)
トウケイ時代は文明開化の世。文明の精華たる library も日本帝国にあるのはあたりまえでやんす。洋行しておどろいて(たしか岩倉使節団)ばかりもいられません。近代国家ですから(笑)。
近代国家につきものはライブラリー,図書館なり。でも図書館はトショカンじゃないよ(笑)
当時のヨミは「ズショクワン」ね。でも,そのズショカンってコトバすらナイ時代がありやした。
書籍館……
ショセキカンではありませぬ。ショジャクカンでございやす〜(笑)。
書物蔵,文庫のことを,開化風にいへば,書籍館となるわけでございまする〜。諭吉先生は,「ビブリオテーキ」を「文庫」と説明してましたが。
近代のライブラリーは,文庫などと違い,書籍を紹介がなくとも自由に縦覧させるところが特色でございます。これぞ文明開化の精華と申せませう。ライブラリーには,文庫と本質的にちがうなにかがあると思ったのでしょう,「文庫」とはちがう「書籍館」なるコトバを,あえて作ったのでした。
わたしに言わせれば,その由縁は free access にありっ! これは,後期近代のひとびとによって,無料(free)であることに意味が拡大されていきましたが,見料をとる取らないは,枝葉末節にすぎません! んなことより,freeの本義とは縦覧にあり(新聞縦覧所のごとく)といえませう。単にたくさん見るんじゃなくて,ほしいままに見るということです。コネなくして,見たい人が見たいように見る,この社会関係の革新こそ,前近代との決別点なのでございやす(と,なにかと見料の有無を問題にする図書館史の主流に反してみますた。造反には理がある!)。
後期近代にどっぷりつかった現代人には,前期近代の偉大さが見えなくなってると申せませう。
書物合戦で友人がはなったタマの『書目』は,ライブラリーが書籍館(しょじゃくかん)と呼ばれていた時代の蔵書目録なのでございます。ありがたや〜。130年前のデータベースでござい〜
とにかく,その画数順の書名検索に萌えてしまった私めは,さっそく友人が掘り出したという某書店へかけつけますた。
ない……(あたりまえです(笑))。
そんで,これは予告した「ネットで古本をかう法」でくわしく述べることになると思うんですが,某ネットでつれづれに「書籍館」を検索してみました。すると…
なんと1件,ヒットしたではありませんか!