書物蔵

古本オモシロガリズム

国○図書館は文化破壊者:カバーを捨てる愚かしさ

むう,タイトルからして飛ばしまくりでんなぁ。これは剣呑けんのん。
でもホントだからしょーがない。
このタイトルを書いたヒト(わたし)は,もしや怒っているのではありますまいか(たしかにそうだ)。
でも,カバーを捨てること自体に対しては,それほど腹たたないんすよ。たとえば,わてのでた大学の図書館はカバーすてまくってましたが(大学図書館ではたいていそう),べつに腹たちゃーしません(それでも,著者紹介の部分とか,切り張りしてました)。
カバーをすててるくせに「保存図書館」などと僭称するのが許せんのです。
「いやぁ,うちの設置法や作用法,組織法にゃあ,「保存」の文言はありゃーしませんがな。保存なんてもんは法律で要請されとりゃーせん*1,だからカバー捨てるンち(こりゃあ文理解釈でんな)」というんなら,腹もたちませんが,そんな,カバーを捨ててるようなところが「保存図書館でござい〜」などとプロパガンダするもんだから,腹がたつ!
カバー及び帯の,情報的,文化的価値については,愛書家ならば喋々する必要はもとよりござらん(ただ,帯の情報的価値については,そのうち詳述するつもり)。
大学は,んなことよりも,学生・学者に本文を読んでもらって,現在ただいまの教育,現在ただいまの研究に資するのが第一の使命なわけで,カバーなんか捨てちまっていいわけです。
こんなこと言うと,国○図書館職員風情はこんな反論をよこすでせうネ。「閉架式だから書庫出納のとき邪魔。中身をすりかえて盗られるかもしんない」
カバーつけたまま出納すりゃよろし。カバー全捨てよりなんぼかマシ。多少盗られても,全部のカバーを確信的に捨てるのよりナンボか罪は軽いよ,と反論できます。もし,あそこが「保存図書館」ならばね。
いやサ,だから,保存図書館なぞと僭称しなさんなっつーの。庶人が読み本を読みに通う通俗図書館ダヨ,って言ってくれりゃーいいんだちゅーの。
あそこは,currentなuserに当座,奉仕しているわけです。「永田町立図書館」…

はじめて国○図書館に行ったとき,カバーが保存されてないって知ってショックだった。

これは図書館学でいう「装備(physical processing)*2」の問題ととらえることができる。
もし,あそこが国会付属図書館でなくて,国立図書館ならば,大学図書館とおなじことしてちゃダメだよ。でも,法制上は国会付属図書館なんだよね。法律にしたがってcurrent userに奉仕して文化破壊してくださいまし。
でも,もし保存をプロパガンダしたいんなら,カバー及び帯も保存してね。もう,半世紀も手遅れだけど……(さすがに帝國圖書館までは心情的に追及しがたい

追記

当然のこと?ながら,箱(函)も捨てちまってるようです。
また,さるスジから「日本の大学図書館でカバーなどを捨てるのは,アメリカ図書館学の影響であろう」という指摘あり。本を文化財ではなく,情報メディアとしてあつかう観点が米国式とのこと。なるほど,だから,情報のある部分は切り張りをちゃんとしているわけでんなぁ。

*1:池本幸雄ほか「図書館「破壊」学入門」『図書館研究シリーズ』No.22 p.65-132 (1981)によれば,国立国○図書館法のまえの,ただの国○図書館法には,保存の文言があった由。してみると,国立国○図書館が保存を標榜するのは,慣例か妄想のどちらかということになる。妄想であれば,ただちにプロパガンダをやめるがよろしいし,慣例であれば,法文にない文化的使命があり,法文以上のことをするのも公務員の諸義務に反しないとみとめて,カバー及び帯を保存するがよろし。

*2:「資料を利用可能な状態に(物理的に)準備すること」(『ALA図書館情報学辞典』)なわけでありまして,要するに,貸出用のラベルをはることでございます。