書物蔵

古本オモシロガリズム

さすが古書通の山口昌男

このまえ買った常盤雄五郎『本食い虫五拾年』(仙台昔話会 1956→1991)に山口昌男が言及していてびっくり。

吉野作造が仙台の旧制高校時代、入り浸った古本屋「馬鹿本屋」のことが常盤著に詳述されていると。

「馬鹿本屋」について級友真山青果も回想の中で触れている(真山青果「青年時代の吉野作造君」『中央公論』昭和八年五月号)

とも。
山口は「古本道楽が、のちの吉野をして綜合的、庶民的にし、いわゆる大学教授らしい「学」の研究〜からすこしズレさせた一つの原因であったと考える」という田中惣五郎の説を引いて、吉野作造の学問を語ってゐる。
さらに山口は花園歌子と吉野の関係を出してくるのだが、そこでかういふ。

個人的なレベルから始めよう。私が花園歌子のことをはじめて知ったのは、或る古書店で『芸妓通』という、昭和四、五年の「通叢書」というシリーズの一冊を発見したことに始まっている。そういった意味で古本屋で出会う一冊は、我々の視野から消えた世界への扉を突如として開くことがあるというのは、けっして誇張した言い方ではない。

そしてこの本を買ったのは、芸者に関心があったわけでも花園を知っていたからでもないという。「通叢書」に「少なからぬ関心を抱いていた」からだという。

というのは、明治の中期から大正にかけて「趣味」という言葉が視野と世界を拡大するための手段として使われていたということが、淡島寒月から巌谷小波にいたる匿れた知の系譜でたしかめられるという感覚を私は得ていたからである。

なおも続けて

この趣味という言葉に先行する言葉は「道楽」であり、昭和モダニズムの流れの中でそれは「通」という言葉に代っていた。

んで、花園歌子の最初の夫、黒瀬春吉についても言及していくんだけれど、黒瀬についてのレア資料を渡してくれた人が二人ゐるといふ。ひとりは関井光夫てふ人で、もうひとりは「T氏」。
もしかして高橋徹といふ人かしらw