書物蔵

古本オモシロガリズム

米国流図書館学に対抗するに、独逸流ドクメンテーションを以てす

日本ドクメンテーション協会(ドキュメンテーションぢゃ、ないよ)を作った石原ヒロシなる人物の追悼文にかやうな一節がある。

UDC 以外のことを, 彼は何一つ好まなかったのではない。分類法と用語法との比較検討はわれわれの間で随分やった。なぜアメリカ人のするように件名標目表(あるいはシソーラス) を優先するのか, それまで論理的構造の下で物を考えるクセのついていた日本人には理解しにくいことだった。
 シソーラスの構造はローカルで, 目の前に見えるものだけを取り 上げたり,考えたりするアメリカ流の思考法の現われで, それなりに理解はしたが「それだけで十分なのか」というのが石原さんにも, わたしにも疑問だった。
 もし彼を1960年代中にアメリカに行かせ, アメリカ人のやり方を全面信用しないまでも,一応理解させ, どこまでは我方でも活用できるかを彼に考えさせたら, また別の展開があったかと思う。
 現在我等はアメリカ流に浸りすぎているので,どこでアメリカ流を振り切るかを考える時代が来ているが,彼が活発ならどういうだろうか。