書物蔵

古本オモシロガリズム

『少年少女新聞』とマンガ

さういや高校2年の時、当時の友人が、「宮崎駿が昔、赤旗にマンガを書いたというが、見られないかなぁ」とわちきに言っていたのを覚えている。

余り知られていないが、宮崎氏は1969年9月から1970年3月にかけて「砂漠の民」という初の公式オリジナル作品を「秋津三朗」というペンネームで発表している。アニメーションではなく、漫画形式(当初は絵物語)による連載で、「週刊少年少女新聞」に連載された。詳しい経緯は不明だが、所属していた東映動画労組の機関誌に描いていた風刺漫画(公になっているタイトルは革命風刺劇「マンガ・ボコボコ戦争」のみ)の功績を買われて、依頼が舞い込んだらしい。当時一原画マンに過ぎなかった氏は〔以下略〕
宮崎駿の源泉>ありったけの善意を子供たちに手渡すという思想 / 叶 精二「SIGHT/10号」2002年1月

『少年少女新聞』だったかぁ。なつかすぃ〜(* ゚ -゚)
まあわちきが読んでた時代よりずっとまへの連載だったから