書物蔵

古本オモシロガリズム

切抜通信の歴史

エゴサーチ」から始まった切抜通信

蘇峯頃者(けいしゃ;このごろ)人に語て曰く、余が内務参事官となるや、紙面より讒謗罵詈殆んど到らざるなし、試みに切抜通信を執て保存し置きしに年末に至て巨大の柳行李に充満せり、之を紙屑屋に売らんと云ひしに、弐十八銭ならば買取らんと謂ふ、驚くべし余を罵詈せるの価甚廉なるかなとを〔ママ:ぞ?〕。
怪庵『文士政客風聞録』(大学館 明33.1)p.11

「此の編明治弐壱九年の秋より参十弐年冬に至る間に成れるを以て」とあるから、1896年以降の記事なんだろうけど、蘇峰は明治30(1897)9月ごろに内務省勅任参事官になっとるから、それから切抜通信を契約し、その年の12月になったら、たくさんたまったということ。
これでわかるのは、蘇峰は切抜通信の原初的ニーズに沿った使用法をしているということ(エゴサーチ)、貼り込みなどの整理をしとらんということである。
蘇峰自身は、悪口の価値が低いと反論しとるんだろーけど、蘇峰はやっぱり戦犯だよね(σ^〜^)σ