書物蔵

古本オモシロガリズム

目次なるものの採録についてまともな議論が一般的な形ではないのではないか

「第1階層」をマジメに採録する目次DB

あるところである目次データベースの作成者があるデータベースの次の目次採録例にあきれていた。

『欧州戦争実記』(80)(1916-11)
 畫報/p1〜44
 讀物/p2〜48

どうやら画報のほうには28記事、読物のほうには16記事ほどあるらしい。ごぞんじのとほり、『実記』は写真月刊誌なわけであり、写真および絵の「画報」の記事をグルーピングして目次で一覧させ、文字主体の記事を「読みもの」としてグルーピングして一覧している。そのグルーピングの便宜で、「画報」「読物」が立項されとるわけなんだが、それを採録者は、この80号の上から第一階層めの階層目次と認識し、その大切な大切な第一階層の目次のみを採録したということらすぃ〜(。・_・。)ノ
ん?(・ω・。)
なにかがおかしいね(σ^〜^)

じつはデジデジ

かねがね、137億円かけたといふ国会のデジデジは、その「紙芝居」の部分だけでなく、目次のほうも同じぐらい重要だと思ふてゐた。ところがそれを指摘する論説は、わが『文献継承』だけという日本学界の知的貧困ぶりにもあきれてをるところぢゃった。

雜誌に着手したのが新生面を開いた。どうせ館まで行かねば閲覽できぬ物なら却ってデジタルより原本の方が好ましい位、結局、インターネット公開でのプラスは目次情報に盡きる。

その目次の採録に問題があるのでは、といふのが某DB作成者の指摘するところであらう。はたして落ち度は――落ち度があるとして*1――目次採録の仕様書あるのか受託会社にあるのか下請にあるのか実作業者個人にあるのか、ちと考へてみると、実は、そんな世俗的なこと以前に、

目次なるものの採録についてまともな議論が一般的な形ではないのではないか

と思ふのである。

たとえば広告

たとえへば逐次刊行物というくくりで目次(記事書誌)採録に新生面を拓いたのは実は「ヨミダス」ではないかと思う。そのヨミダス、かならずしも記事書誌データの質は均質でも完璧網羅でもないのだが、全体の方針レベル(まあ、仕様書レベル)ではすごくいい部分があって。
それは、

広告も採録対象としていること

これは実は画期的なことだったのではあるまいか。
でも、コンテンツ(目次)を採録するさいに、コンテンツ(中身)の本当のすべてを代表するなにか――それは本文(テキスト)以上で冊子タイトル以下のどこかのレベル――をすべて掬いつくすような内容総覧ってーのは、いままでなかなかなかった。
広告といふ「記事」は、これは当座の実用性を失ったあとでもきはめて重要で。
これはコクブンケンの有用なDBぢゃが、

明治期出版広告データベース

といふやうなものさへ、成立しうるわけで。
デジデジでもよく見ると、我らが古通の場合のやうに、目次表に広告標題もだしてある号の場合には目次情報として拾ってをるやうなので、察するに、

目次表にあれば採録し、なければ採録しない

といふ仕様書なのであらう*2 それにこれは今回の『実記』80号の例からいふに、うえから第一階層をとるぐらいのことが指示されとんのかのぅ…(これもわからん。前後の号では、それなりにちゃんと目次らしきものが採録されとるやうに見受けられるが… とにかく説明がないのでわからん*3

「細目」という実践

でも、聞けば、一部でその実践、つまり本当の内容総覧をつくること、がなされてをって、それが主に文学史研究者による雑誌の「細目」づくりだったという。
早稲田の稲垣達郎やその門下生たちによる実践だと以前Mさんに聞いた(。・_・。)ノ
今回の『欧州戦争実記』(80)(1916-11)でいうと。
たとえば、読物16個のうち、末尾の「編輯たより」をみると、「◎表紙に掲げた写真は、バルカン半島…/◎ルーマニアは八月二十七日に墺太利…/◎時漸く冬に入りて、カルバシヤン方…」ではじまる3つのエントリがある。
これらは固有のタイトルはないにもかかわらず、独立したエントリとみなせるので、これら3つ(タイトルがないので、冒頭の句、インチピットか、採録者が○○の件と仮題を与えて)を三つとも採録するのが「細目」的には正しい。
あと同頁には、これは当然すぎるので巻頭の目次表にはないが、いはゆる「奥付」もある。この「奥付」も実態としては大きく2つにわかれて(というか、奥付に雑誌特有のおまけ情報が付いているというべきか)、「毎月○日○回発行、改正価格、御注文要略」といった出版社が任意につけた販売情報と、本来の奥付(法律上の義務の部分)にわかれる。
このページに奥付がありというのも、これを1エントリでとって注記するか、2エントリにとるのが「細目」的には正しい。
ほんたうに使える目次DBにするには、情報粒度の上のほうから第○階層までとる、とかいふ、お弁虚ずきな秀才君なら誰でも思ひつくようなものでは、結局壮大な無駄遣いを生むのに対して、「細目」的な、本文のほう、つまり下から考えて最初の階層をとる、ちゅーものでないといかん。
ヨミダスがその品質管理において必ずしも成功しとらんのに、大枠では成功なのは、この下から採録したといふ点にあったと思ふ。
単に目次を採録ちゅー、ことは、じつはほんとうは、手間がかかることなのである。

ぼやき

かやうに、真実の細目を作成するノウハウも理念レベルでもろくすっぽないのに13,700,000,000円を数年で使い切るような受け皿も民間にあるわけもなく、それが出来ているとなれば質は知れたもの。さういふ意味で期待は無理といふものぢゃ。
で、我々には二つの途が残されとる。

  1. だめなもんでも、他にないから、ダメと認識して使いたおす。
  2. だめなもんだから、使わない。

これはレファレンス・ツール採用時の判断でもあって、とーぜんのこと1が正解。
ただ、ある種のかたくななよいこちゃんは2を選択することがあって、あきれたことですよ。

*1:といふのも、役人組織は落ち度といふものが発生しない構造(σ^〜^) 

*2:ってか、その手の説明がないから、わからん(。´・ω・)? 勝手に「結果」から推察するしかない。そんなんでいいのかてふ議論は成り立つが(。・_・。)ノ

*3:わからんから推測するしかない。