書物蔵

古本オモシロガリズム

資料論

兵庫教育大学近代文学雑志』(25)(2014.2)の編集後記が資料論ネタで面白かった。
基本的には、かってのイノショー先生ネタと同じ話題で、地方在住者の資料アクセス難の話なのだけれど、新しい要素として国会のデジデジが加わっとる。

国会図書館に通い始めた頃は、なかなか自分の名前が呼ばれないのに苛立ちを募らせる、大病院の薬局や会計窓口のような印象だった。

さうさう(σ^〜^)
今を去ること十数年まへまで、あそこは、本が出るとマイクで呼ばれる。

書物蔵さーん! 書物蔵某さーん。オタさーん! オタ呑之介さーん。

などと、コール・スリップ(請求票)に書いてある名前をマイクで呼ばれるので、それを受け渡しの窓口に取りに行く。マイクを導入したのはいつのころか知らないけれど、それはそれはものすごーくうるさいのが「目録ホール」といはれたカード室ぢゃった(いまはカードは廃棄されたやうだ。帝国図書館のカードも廃棄しちゃってバカだよねー。あれでしか出ないものあったのに)。
はなしをもどすと。

国会図書館の事業などでも、デジタルアーカイブが構築されて便利になった。一頁づつページを繰った時間(略)は、いったい何だったのだろうか、とも思う。

そして「自分の心の内を覗いてみると〜
かきかけ