書物蔵

古本オモシロガリズム

支那では写本が覆滅させられたりとぞ

こんなものを読んだ。

  • 佐藤道生「貴重図書の流出」『丸善ライブラリーニュース』(13)p.14-15

日本漢籍の、支那漢籍にない特徴として3つ挙げている。
1)佚存書の多いこと
2)唐代の本文を伝える写本が多いこと
3)日本人の書入れがあること
中国に残らなくって日本にしか残ってない佚存書のことは、明治時代に清朝知識人、楊守敬が日本で漢籍を買いまくった逸話からも有名だけれども、わちき的に面白かったのは、2の、写本が多いこと。逆に言えば、大陸で写本のないことである。
「中国では宋代(10〜13世紀)を境として書籍の形態が写本から刊本へと移行した」ことは有名なこと。でも、次の指摘はあまり読んだことがない。

しかも中国では、ある書籍がいったん刊行されると、その刊本が権威化して、それ以前に流通していた写本を駆逐してしまうという現象が見られる。

ほへー( ・ o ・ ;) はっきり書いてあるのははじめてみた(^-^;)
いやサ、友人に「どっかで読みましたよ」とて同じことを聞いたことがあるのだけれどね。あのように広大であのように歴史あるchinaであるのに、なして確定されたテキストを前提にしか議論がされていないのか、これでやうやくはっきりしたよ。ありがたし。
ってか、この記事は、唐土の政府が海外佚存書も保存に乗り出していて、対するに本朝政府がぜーんぜん興味ないのをなげいている。
いや実際、漢土の政府はきっちりキチキチ、情報政策があるから、インターネットでさえ、何万人も検閲官がいてきちんと管理されてをる。そーいった意味ではキチンと管理されることと思うですよ。
でも、社会主義と思ったらなんだかすっかり粗暴な資本主義の現王朝は、高島俊男先生にならえば新しい中華王朝なわけなので、きちんと管理されすぎるだろうことうけあい(σ^〜^)
追記
夜、友人に電話で聞いたら、戦前の文献だったよし。