友人のコレクションを見てたら、自分の無教養がおそろしくなったなぁ… やはり知識は力になるのだのー ひさしぶりに、古本を買ひたくなってしまった。まぁでも、今から買ふたとこで、建艦競争における米国と日本みたいな感じ(もちろん、わちきが日本ね)
彼らがわちきの数十倍の古本持ちなのは、金だけでなく時間をたっぷりかけとるからなんよ。若いころからの古書展がよひによる蓄積ぢゃ。もちろん書誌鳥さんハといへば、17、8からの古書展がよひといふから(ぐろりやさん曰く「そういへば、背の○いヤツがいるなぁ、と当時思った」とぞ(σ^〜^) 古本エリート?(゚∀゚ )アヒャ ってなんぢゃその概念は(^-^;))、
古本といふのは、金はともかく時間がかかるもんだからねぇ。オタどんも若いころから京都の古本屋を流してをったらすぃーから、いろいろオモシロげな珍書を持ってをるのだらうなぁ(σ・∀・)
わちきのバヤイ、時間をハショらざるをえんから、カネが(相対的に)かかってしまふといふワケ(。・_・。)ノ
まぁ、旅行(タイムトラベル)に多少のカネはやむをえんとして…
ためつすがめつ
ある程度、まとまった立派な資料というものは、わちきのいうところの「逆さ読み」ができる。
たとえばさ、『懐風藻』って日本最古の漢詩集とされとるが(天平勝宝3(751)年頃成立)、これを、漢詩の鑑賞に使うのは正則よみ。けれど、逆さ読み、変則で読むならば、読んだ人の官職名が拾えるので、当時の行政組織をさぐる資料となる。
たとえばまた、『クレートロロギオン』ってーのは、たしか東ローマ宮廷での宴会(席次)表。でも、この席次表から、当時の行政組織を復元することが(かろうじて)できるのぢゃ。
柳田くにお君いふところの「偶然資料偶然記録」と言ってもよい。編纂者・出版者の本来の意図とは別の意図(というかニーズ)で、ちがう読みをするというもの。
だれが最初に『懐風藻』を、あるいは『クレートロロギオン』を制度史に使おうとしたのか知らないが(ってか調べればわかるだろうが)、そのような変則よみ・逆さ読みをその人がした(する)瞬間にたちあうにはどうすればよいと思う?
人間ってーのは、わかりやすいというか、フシギなもんでねぇ。読みたいようにしか読めない。だから目の前に「偶然資料」があっても、「偶然資料」としては読めないもんなんよ。
偶然資料が出現するには次の要件が満たされねばならぬ。
逆さ読み出現の必要条件
- ニーズの発生:○○として、読めるものはないか?ニーズの発生と要求(デマンド)の表明
- 資料が在ること:潜在的「偶然資料」の残存
- 逆さ読みをできる主体(人)
- 上記、3つが出会う場
この4つは、かならずしも同時期に出現するものでもないし、すべきものでもない。懐風藻が成立したのは8世紀だけど、懐風藻を行政史料として読んだ人は、おそらく千年以上あとの人であっただろう。
レファレンス作業の教科書に
たしかむかーし読んだレファレンス・ワークの教科書に、こんなことが書いてあった。
各ジャンルで辞書事典類をそろえる際に、そういったものがないジャンルがある。その場合、辞書事典(reference toolという)としての使い勝手が本来できないものであっても、かわりに揃えておくべき
というもの。
現在、特に英語圏やあるいは日本語圏でも命やカネのかかわるジャンルではきちんとツールがある。たとえばいわゆる「医中誌」ができたのは何時か考えてみればよい。
けれど、日本語、とくに命やカネに直接かかわらんジャンルにはツールが欠けがち。ましてトンデモジャンルにおいておや。
でも、捜せば過去に出たもので、ツールとして使えるものが結構みつかったりするのだ。
ん?(・ω・。) 今までの司書がアフォだったからかってか?
いやいや、弥吉光長をはじめたてまつりて、我等は足元にも及ばぬ立派な人々であったよ。
ツールとしてつかえる非・参考図書の発見や、新ニーズをキャッチした新・逆さ読みの開発が、結構オモシロなのではないか、と思うてをるのぢゃ。
(かきかけ