書物蔵

古本オモシロガリズム

佐藤卓己『ヒューマニティーズ歴史学』を読んで

感想みたいなもの、ってか、気になったところを。

おそらく客観的な歴史には到達できないであろうが、いまより一歩でも二歩でも客観的な歴史に向けて議論することはできる。それこそが歴史ゼミナールの精神である。(p.9)

うん、これは最近、日本図書館史研究にハマってをるのでナルホドですぢゃ(*´д`)ノ いままで、斯学は、司書課程の省令科目としてノッペリしたものか、運動のための、かなりアヤシゲなものしかなかったのぢゃ

〔現在の情報過多の時代〕そこに求められる「情報リテラシー」とはまさしく史料批判の技法である。

これはどの瞬間にもいえることで、たとえば、よくよく分析すると質問そのものに答えの半分がかくれていることもあり、わちきは司書なぞはみな、ホームズばりに推理力・批判力があるはずと思っておったが…

教養の定義は難しいが、ここでは「教養のある人」とはどういう人か考えればよい。それは「話せばわかる人」である。(p.29-30)

ん。これはまったくそう。たとへ意見(思想・信条)が違くても、すくなくともなぜ違うのかがお互いに了解できるぐらいにまではなれるようにならねばの。

ナチ党の旗は、社会主義の「赤旗」の上に「鉤十字」をのせたものである。(p.49)

ほへー(・o・;) これは知らなんだ(×o×) 「とぅあぁーてーぇ、うえたるものーぉよ♪」ってか(゚∀゚ )
ほかにも、ナチズムの和訳は、あくまで「<国民>社会主義」たるべきで、「<国家>社会主義」はむしろ戦後に造語された誤訳ないし、曲解訳であること(p.63)とか、

また、人間を悪魔化することは、人間の神格化への誘惑である。(p.74)

なんちゅーのも、ヒトラーの絶対悪化が、非難する側のファシスト化や、ヒトラーの文化的勝利などを導いてしまうという指摘は同意である。どこぞの団体もそうなってはおらぬかの。