書物蔵

古本オモシロガリズム

絵葉書日記

今日は浅草松屋
行ってみるとやっぱりオヤジッチがたくさん集まってた(・o・;) 一般のお客さんが目を白黒させている(^-^*)

古書展で図書館絵葉書

めずらしく7階会場までエスカレーターで上がってみた。で、ちらっと見てから絵葉書ンとこへへばりつき。図書館絵葉書を1枚拾うことができた。上出来の部類なり。ついでに植民地博物館絵葉書を拾う。これは交換用でためているもの。わちきがいま最も重点的に集めているのは外地外邦の図書館絵葉書なんだけれどなかなかない。んで、ところが博物館は結構あるんでついでに拾っておるのだ。新博物館体勢!ってか(^-^;)
絵葉書をシャカシャカしてたら知り合いが来ていろいろ教えてもらふ。そうか、家屋解体時にゃあ古本屋より先に道具屋が来ちゃうのか、とかとか。
図書館本は拾えず(´・ω・`) もはや古書市場に戦前図書館本はないのだらうか(*゜-゜)
思ったより早めに終ったので、どこか平日じゃないと行けないようなところへ行こうと考えクルマをころがす。ん(・ω・。) さういへば都立図書館がリニューアルっていってたな、と思ひ、広尾へ。

図書館の展覧会で図書館絵葉書

浅草から広尾へ裏道につぐ裏道で久しぶりに街中ドライブを。本郷の北をかすめて東京ドームの脇を抜け飯田橋、四谷から青山霊園、六本木、広尾へという具合。これには昔の『渋滞・ぬけみち首都圏道路地図』が大いに役に立つ。
一時期、タクシーの運ちゃんになろうかと。23区内ならだいたいドコへでもつけることができますよお客さん! 
行ったらば記念展示なんかもやっておったので見る。日比谷図書館開館時に図書館絵葉書が発行されていたことを知りびっくり。ってか山口県立図書館が他館のものを含め紙もの一般(閲覧票とかも)蒐集保存していたことを知り感心した。一度行かねばなりますまいの。
5階の食堂でラーメンを食うも汁が薄い感じ(´・ω・`) もちっと濃くしてちょ。
都立はあんま絵葉書を持ってないこともわかった。

そうそうレファレンス

各階にもカウンターがあってスタッフがいたが、おじさんおばさん系は1階のカウンターにしかいなかった。2、3階のカウンターにいたのは若めのねーちゃんだったから、もしかすて非常勤か委託職員なのかなぁ。けど質問はしなかったので実力のほどはわからず。
その後で某所へ行き、『図書館界』最新版のコピーをもらふ。

友人と図書館史研究の話。

前近代までの「文庫」と近代の「図書館」はやはり全然ちがうものではないかと。一度、図書館の語誌をUPしたことがあったけど、わちきが常々ふしぎに思っているのは、なぜ「文庫」というコトバがありながら明治初期の人々は「図書館」なる新語を使ったのかということ。このように使われていたという語誌ではなくて、なぜ、ぶんこ・ふみくらでなく、ずしょくゎんなのか。

仮説 公開された文庫=図書館

つまり、public library = 図書館、ではなかったかと。もちろん閲覧料の有無じゃなくて、社会関係やコネがなくとも縦覧できる点にイチバンの違いがあるとわちきは見るのだけれど。そーゆー意味じゃあ前近代の文庫はコネがないと見れんからね。カネがかからなかった場合でもそのわずらわしさは大変なものがあったようで。
いま、図書館というコトバは「無料貸本屋」(しかし、この英語訳ってナンダロね。 A fee free lending lbrary ってか???)の意味になっちまってるけれど、なんだか、社会的にパブリックなものとして明治の人が感じたのではないかいな。てけとーに「Public library = (ただの)図書館(×公共図書館)」説を唱えておきますよ。
職員論についても、書物奉行が学者(近藤重蔵とか)とただの番人に両極端になるのは欧州(大陸)で学者司書(ライプニッツとか)とただの出納手の両極になるのと似ているのではとか。
やっぱり、レファなにがし、とかいうサービスを考案・実践したり、辞書体目録なんちゅー情報検索にしか使えない目録(物品会計や分析書誌学に使えない!!!)を開発しちまう米国司書がヘンテコ(いい意味で)なのではあるまいかとかとか。

大学で殺人とは(・o・;)

帰るとニュースで騒いどる。さらにまたオタどんが通報してくれる。ほへー(・o・;) 事件が起きて1時間後にその大学のそばを通ったけど気づかなかったよ。地下鉄サリン事件といい、秋葉原通り魔殺人事件といい、近くをとおりがかるのにかけては運がいいんだか悪いんだか(-∀-;)