書物蔵

古本オモシロガリズム

匿名であること

上杉隆『ジャーナリズム崩壊』に匿名ブログはよろしくない旨書いてあった。まぁそれはそうでしょう。
自分の場合、趣味の日本図書館史についていろいろ思いついた小ネタがそのまま空中に消えちまうのが悲しいなぁと思ったので書きつくったのだけど、始めた当時は実名にしようとはあまり思わなかったなぁ。
それに実名にしたら逆にほんほうに言いたいことを書いて問題になったような気もするし。

盗用されちゃう?

友人は「ブログは盗用されちゃいますよ」とさかんに言う。
うん、まぁね。そうかもね。
残念だったのは図書奉行タンの論文にshomotubugyoのshoの字もでてこなかったこと。ってか以前薦めた板倉聖宣『模倣と創造』を読んだ? 読んだら今度の論文では言及よろしくね。それにたいしてyonei先生は偉い(ってかyonei先生が学者として普通にまともであるということか)。

まあ損ではあろうが

高梨章先生も残念。一介のブロガーとはいえ、オタどんブログにきちんと言及せんのは困りもの。
一度書いたけど、オタどんはそれなりの史料から合理的に推論しとるにすぎん。たまたまより明確な史料があったからオタどん説はくつがえったけど、史学ってそれ以上のものじゃないでしょ。
<根も葉もない「妄想」>ではぜんぜんなく、根拠のある合理的推論(仮説)であり、なればこそ、新しい高梨先生が持ってきた根拠(史料)によって批判され、棄却されたわけだし。ほんとうに<根も葉もない「妄想」>なら、批判も訂正も不可能だよ。
オタどんのブログは、あの、匿名ぎらいで鳴らす猫猫先生が、匿名であることを前提にしながらもコミュニケートするめづらしブログなんだし。

オタどんに感謝

わちきなども今回書いた論文モドキ(『文献継承』)でレファレンスを示させてもらったところ。戦時読書運動における堀内庸村と藤井そうじのつながりが、どーしてもわからんかったのが、オタどんブログでわかったのである。
昭和17年大政翼賛会実践局文化部で、国民読書担当のある嘱託がなぜ絶大な権限を持っていたか、当時の同僚で伝記作家になった杉森久英ですらワカランかったコネクションをおしえてくれるブログが、この平成も21年の日本にあるのだ。
そんなブログほかにあるか? だいたい図書館史に言及してくれるブログなんてこの日本になかろう。図書館ブログだって、まともに文献を引用して発言するのはすくないんだから。

司書こそ書を持ってネットへでやう

ただ、どうやら日本図書館史研究をやっとる人々は司書あがりのおじーさんがほとんどなんで、そもそもネットを徘徊するということをしないらしいとわかった。
文献に強い司書こそネットに半身を浸すべきだと思うがの。流言浮説が多いネットで常に文献を参照しえる司書ってば、超強力な表現者になろうと思うのだけどねぇ(といいつつ、館界がIT万歳バカと文献引きこもりに2極化してしまってれば、むりかな)。
情報ってのは、非対称的(ある人は知っているけど別の人は知らない)であるから重要になるわけで、つねにネットに依存する人とつねに文献の隣に座ってネットにも依存する人では勝負はあきらか。

そろそろ

ぶりぶり怒ったところで、そろそろ公開モードにしようかと思案中。
だってid:miqueさんとこで白ポストとか話題なっても、トラバ送れないんだもん。