書物蔵

古本オモシロガリズム

『甘粕正彦乱心の曠野』から

石原莞爾甘粕正彦の対照

甘粕とすれば、石原を崇拝する取り巻きたちは、大言壮語するだけで仕事がまったくできない頭の空疎な観念右翼にしか見えなかったのだろう。甘粕は仕事さえできれば、右翼も左翼も問わなかった。白い猫でも黒い猫でも、鼠を取る猫はいい猫というのが、甘粕の根本的な人間観だった。(p.337)

同様の対比はすでに思想の科学あたりで行われていたそうな。
甘粕正彦の教養はどうやら読書から来ていたらしい。息子さんの回想メモによれば…

読書家の父[甘粕正彦]は、6畳程の書庫の四周と中央部に、天井に達する書棚を置き、ギッシリ本を詰め込んでいた。レパートリーは広く、歴史・地理・各種の文学全集・伝記物・小説など雑多であり、平凡社百科辞典や語学関係(フランス語・ロシア語)もあった(p.403)

最期の遺書にもこれら本についてひとこと(・o・;)

本は皆でわけて
刀は子供に
知つた方々へのお別れは何れもしない

甘粕正彦乱心の曠野』を読了す。
大杉栄らの殺害について実行犯は別だったというのは知らなんだ(・o・;)
やっぱり終戦前後のところがもりあがりかな。
にしても著者の佐野氏はすごいなぁこんなに精力的に資料を読み込み、さらには人に会うなんて。
わちきもマネごとはやったけど、特に人に会うのがかなーり大変なのである(心理的に)。
甘粕の、ソ連侵攻時のふるまいは立派としかいいようがない
わちきの親は満洲国民だったからなぁ…
もっと北のほうにいてホントなら帰れなかったはずなのだが、最後の避難列車で南下できたのであった…

甘粕正彦には額に「悪」という文字が…

他にもいろいろオモシロな記述があって…

そんな[いかにも悪人っぽい]安易なイメージを助長させたのは、甘粕本人だったともいえる。甘粕心酔者の古海[忠之]が、「甘粕は国際的な政治謀略に異常な執着を持っていた」と述べていることは前にふれた。
そんな男がいつも仕立てのい協和服を着て、つめの手入れを忘れない。そんな一部のすきも見せないスタイリストが、腹の底で何を考えているかわからないとなれば、誰もが甘粕にいような凄みを感じ、深いたてじわが刻まれた甘粕の額に「悪」という見えない烙印を押したくなるのも自然というものだろう。(p.355)

古海忠之ってのは満洲のおえらいさんで、中田邦造昭和12年に一度、それから昭和19年にも会ったことがある。
甘粕はいかにも裏で糸を引いてる悪人っぽくみせる(みえる)ってゆーことですなぁ(*´д`)ノ
額に「悪」なんて書いとる人なんておるわけないのに、まわりが寄ってたかって「悪」とかきこみたがっちゃうわけ(゚∀゚ )
これなんか、図書館史研究なんかが完全にはまった図式で、戦後、図書館史研究で硬直的人民史観が1970年代からむやみに強くなり、たとえばただのオヤジにすぎん松本喜一を悪の権化のように思い込み、図書館界のいきづまりをみーんな彼のせいにしちゃったりとか。
「善玉悪玉史観」と言っておったお人もおられたが。