書物蔵

古本オモシロガリズム

歴史的にはいつでも

情報工学の人が、「べつにOPACなんかイラネ。フツーにネット上の情報(gooleや専門DB)だけで研究できるし(要旨)」といっていたが。
そりゃ情報工学だから2重の意味でその通りというかアタリマエ。

いつの時代も社会的に優遇される分野がある

ってか、パソコンのない大昔っから同様の事態というのは展開していた。
ごく初期(明治初年)を除いて図書館や書誌が軽視されまくった大日本帝国においても…
紙メディアしかなかったのに医学とかごく一部の先端科学とか軍事とかの世界では、地道に資料を探すなんちゅーことからは開放されていたのだわさ(もちろん、資料を探す楽しみというのもなくはないのだが)。「医中誌」とかあったし。
その時代時代で、政治的・政策的・経済的理由で社会的資源が優先的に投下されるディシプリンがある。
軍事を中心とした科学技術のためならば、昭和19年になっても第三帝国からピピピと(じゃなかった、トンツー・トンツーでした)文献の抄録が大日本帝国まで送信されてくるですよ(「大日本帝国にBUNSOKU!」を参照)
情報工学もそーいった領域というわけ*1
政治的にも正しい(政府が喜んでカネをだす)し、経済的にも正しい(企業が喜んでカネをだす)から、その時々の(って、要するに今の技術水準で)最先端の情報ツールが、(選良および選良予備軍には)一見ただで使えるようになっているというわけ。
わちきが一時期趣味にしてた図書館情報学なるヘンテコ領域も、一見、役に立ちそうで理系っぽいカヲをしているもんだから、本物のBUNSOKU(JdeamIIのことね)に抄録がとられ採録されてたりして。こりゃーぜんぜん役にもたたんし文系、ってな論文も収録されててびっくりしたことがあるよ。1970年代にドクメンテーションとか流行ったとき、政府関係者をだまくらかせたからなのかなぁ、なんちて(^-^;)
そんな、時代の優遇でもある一方、本質論として、コンピュータ・通信工学の知見がコンピュータ通信網で入手できんとなれば学問自体の沽券にかかわるわけで。

まぁ他領域ではネット「だけ」しか使わないってな論文は書けんでしょ

もちろんネットの普及が従来に(つまり近代はじまって以降ずっとの状況)はまらない、新しい側面もあって。
たとえば、公権力からよくて無視、ともすると弾圧され、産業資本や金融資本からも相手にされないサブカルが、(通信回線という物理的)ネットによってそれこそ(社会学的に)ネットワーク化され、隆盛しとるとゆーことは今までにない事態ではある*2
けど、こと「研究」とか「学術」とかに関するかぎり、人文系はもとより社会学系、さらには自然科学系の大半で、OPACを使わずに、つまり図書館をつかわずに論文がかけるという事態は、数十年単位で先のことではないかと思う。あるいはディシプリンによってはいつまでたってもそうならないものもあろう。

*1:まぁニホンゴの情報工学はinformaticsじゃなくてcomputer scienceなのだけどね。通信工学と電算機工学の融合領域といったところかしら

*2:サブカル隆盛を招いたという点で、それまでのメディアと違う「功績」を「情報工学」に認めるにやぶさかでないよわちきは。