書物蔵

古本オモシロガリズム

文化資源学とは何か?

東大の公式サイトから。

文化資源学とは、いわば既成の学問体系の側に立つことよりも、体系化のもとになった資料群の中に分け入ることから始まります。文化を根源に立ち返って見直し、資料群から多様な観点を通して新たな情報を取り出し、社会に還元することを目指しています。
(www.l.u-tokyo.ac.jp/guidance/bun/2007/0528bunshi.html )

資料群にわけいるとは、なにやら滅びし「博物学」に近似しておるような…
で、実際にこの学問をやっている人の個人的定義みたいなものがあった。

しかし実際に6年やってみて、文化資源学はどうやら、実践的な他の近接学科とは一線を画すところを目指しているのではないか。その部分を、自覚的に言語化していく必要があるのではないか、と思うようになりました。
簡単に言ってしまえば、アーカイブや文化振興を「非常にまどろっこしく」考えるのが文化資源学なのではないか。技術や実践は、それだけを学んでもあまり意味がない。その背景には思想があり、思想がなければデザインできない。(http://d.hatena.ne.jp/konohe/20060419#p1:読書日記のおまけブックマーク経由)

ふーん。
図書館情報学で、図書館哲学とか図書館史とか図書館と社会とか、そんなお題目でやられていたものを、本の置き場(=図書館)にかぎらず、いろんなものの集積を対象に研究してみましょう、というものにわちきには見えますな。ちょうど、図書館学の学術性論争(1950年代)で、「図書館学には方法論・技術論しかないではないか」とか議論されたり、図書館社会学(1980年代)がそれを埋める可能性があるといわれたりとか、そんな問題意識を、紙資料に限らず、あつめたって感じ。
でも、わちきはもと史学とか図書館情報学とかなので、今回読んだものみたいに資料操作の甘さとか、推論のあぶなさとかに目がいってしまうけどね。
もちろんどんな看板を掲げようが、きちんと文献実証的で論理としてまちがいでない研究成果がでていれば、ぜんぜんOKとは思うのですよ。
たとえば、「図書館史」や「博物館学」「アート・ドキュメンテーション」で、慣例上、研究対象にできないものが「文化資源学」でやりやすくなるのだ、といわれれば、そりゃいいですなぁ、としかいいようがありません。たとえば、図書館史の枠組みでやると、あまりに古い左翼のしばりがきつすぎて、満洲や戦時のことがおちついてできない、だから文化資源学でやる、とかね。
でも、既存の枠組みでもできちゃったりして。