書物蔵

古本オモシロガリズム

前提1:内務省の出版統計は「業務統計」だから加工せねばならん、とゆーこと。

牧野(1996)は前提にあたる部分がすっとばされ、いきなり各論がならんでいるからワカラナイ。だからここに前提をカキコするなり(〃^-^)φ この前提をひととおり読んだ人だけが、牧野論文を読解できる、とゆー悪辣なる企て(゚∀゚ )アヒャ しかし、いままで10年以上、(戦前の)出版統計なるものを牧野論文をもとにわかろうとしたものはこの日本国おらんかったのか?

そも統計に3種ありっ!`・ω・´)o

統計数値には種類が3つあるんだってさ(Wikipedia>統計>「作成手段からみた分類」による)。

  • 1次統計:調べる作業を独自にやる「調査統計」と、登録や届出などから自然に集まる「業務統計」
  • 2次(「加工統計」):1次統計の結果をいじくってひねりだす数値

内務省の出版統計はなににあたるか

で、内務省の出版統計が、3種類のどれかってことなんだけど。
戦前の出版統制が、「自由主義」的取締りだったことは有名な話で。今の感覚からゆーと、自由だと放任かといえばさにあらず。どんな印刷物を作っても勝手だけど、かならず全部、検閲して、ひっかかったら頒布させんよ、という「自由」。
だから政府はべつに、出版現象そのものを把握しようとしていたわけではなかったといえる。内務省の出版統計は、検閲事務での届出をカウントしていただけなのだ。帝国政府は出版現象そのものに興味はなかったのだ。
いいかえると、内務省の出版統計は1次統計ではあるのだが「業務統計」でしかなく、内務省が業務に必要な係員の定員を考えるのには直接役立っても、今の我々、出版現象そのものに興味をもつ我々にはそのままの数値じゃ意味をなさない、とゆーことになる。

我々のすべきこと

で、どーせねばならないかとゆーと。
業務統計の数値を、斬ったり貼ったりコネコネして、加工統計をひねりださねばならん、とゆーことなのじゃ。

内務省と我々のズレ

いま、我々は「出版物」を大まかに3種に分けて考えている。

  • 単行本
  • 雑誌
  • 新聞

けど内務省は検閲事務をしていたにすぎず、その事務は3つではなく2つの法律によっていた。そしてその法律は(昭和前期でいえば)、出版法と新聞紙法、ということになる。つまり、「業務統計」としては、出版物の検閲事務と、新聞紙の検閲事務の2種類の事務だけがあって、それに連動した統計数値しか遺されていないのだ。いいかえると、内務省のアタマん中では、出版物は

  • 単行本を中心とする出版物
  • 新聞紙

の2つしかなかったというわけ。んでもって、数値もこれに対応する2つしかない。
でも、「雑誌」ってメディアだって戦前からあったでしょ、と言われればそのとーり。どうなってたかとゆーと、一部雑誌は新聞紙として届出され、残りの雑誌は単行本に準じて届けられてわけ。

加工しないと…

加工しないと、つねに次の言い方しかできない。

○年の新聞紙の統計は××件だよ。けどこれには雑誌が相当量入っている数値だよ。どれぐらい入ってるかは知らないよ。
○年の(普通)出版物の統計は×××件だよ。けどこれには雑誌が相当量入ってるよ。でもどれぐらいかはわからないよ。あ、普通出版物ってのは、きっとだいたいが単行本のことだろうけど、どれぐらいかわからんなぁ。え? 件ってのは点数(タイトル数)なのかってか。わからんねぇ。

おそらく今まで(って牧野(1996)まで、という意味)は、内務省の2種の統計(のうち片方)を、むりやり次のように解釈してお茶をにごしていたのではあるまいか。

  • 出版法届出数=ムリヤリ=>単行本の点数

我々がやる(加工)べきこと

もうおわかりと思うけど、出版法届出数から雑誌などを引いて、新聞紙法届出数から雑誌を引いたものをそれぞれ、単行本、新聞の統計として、雑誌を足したものを雑誌とする、とゆー「加工」をしなければならない。で、それをやったのが牧野(1996)とゆーわけなのだ。
だ…
だが……
これがまあ、かなりタイヘンな上に、なんとまあ、従来、単行本+雑誌(の一部)だったと思われてた普通出版物の統計が!
(つづく)