書物蔵

古本オモシロガリズム

芸人はいつから芸能人になったのか?

翼賛文化運動の話をしていて、わちきが「なんかで読んだけど、それまでだらしない人々と思われていた俳優達が、`・ω・´)シャキーンとした格好でトラックにのり、村に慰問でやってくる。それは、それまでドサ廻りすらこないような僻村にまで都会的娯楽を配給したということであり、村人が、都会モノを見直すきっかけになった、ってゆーよ」と。
そしたら、「<芸人>が<芸能人>と呼ばれるようになったのも、その一環だっていいますねぇ。でも、そういう<総力戦>論って、もう10年以上まえからですよ」と。
そなのだ。国民読書運動は総力戦論から読み直すべき。いまさら糾弾史観もないもんだ。
それはともかく。

日国では

<芸能人>に初出?として、1947年の所得税法が引かれている。<芸人>のほうをみると。
マイナスのニュアンスがあることは書かれていない。これではハナシがはじまらない(´・ω・`)
他のフツーの辞書でも、<芸人>にマイナスの意味があることが出てない。あわてて新明解(6版)をみると。
「軽い軽蔑を表して用いられる」ときちんとあった。

国会会議録を、国語の資料としてつかう

ネット情報は、典拠としては1990年代後半からのことしか使えない、というのがわちきの持論。
でも、例外的につかえるものもある。もちろん、これも持論*1の、<すでに紙で開発されてた資料>の続きか、それの遡及入力にすぎないんだけどね。
で、
もちろん、国会会議録は、現行民主体制のもとで、税金をぞんぶんに注ぎ込めるから、フルテキの遡及などということができるわけだが。
わちきは、この政治的に正しいツールを、正しくなく使うのがすきなのじゃ(・∀・) 趣味につかうわけ。
まーでも、体制のことなる戦前の帝国議会会議録(速記録)の遡及までいくと、なんとも歴史趣味にしかつかえない気がするのはわちきだけ?(^-^;)
って、いまよくよく見たら、本文まで遡及してテキストしたのは戦後分に限られるみたい。戦前のものは、目次のとこしかテキスト化しなかったみたい。これじゃ、戦前の国語資料としてはつかえんわい。

<芸人>蔑称としての使用事例(1946)

衆議院議員石田一松(いしだいちまつ)が、自分に対して使っている。

單なる藝人石田一松に對する答辯と云ふやうな輕い扱はれ方があつたのではないかと
90 - 衆 - 予算委員第二分… - 2 号(回) (昭21.8.13)

<藝能人>の初期?使用例(1947)

勅選議員の坂田幹太(さかたみきた)が、わりと良い意味で使っている。

能樂は六百年に亙りまする古典藝術として能樂は尊重すべきものでありまするけれども、併しながら之に携はりまする藝能人の頭は、古典的であつてはならないので、世と共に日に新たに進んで、舊來の陋習に泥むべきではないと思ふのであります、藝道を以て文化國家の再建に寄與するには、封建的たる過去の夢より覺めて、六流の人々が互ひに敬重し、協力し合つて、之に精進すべきでありまして、
92 - 貴 - 本会議 - 25 号(回) (昭22.3.27)

なんとも惜しいことに昭和20年よりまえの本文がテキスト化されないようなので、めでたさも中くらいじゃが(´・ω・`) 
とりあえず、戦争前後でも現在と同様、<芸人>には悪いニュアンスがあり、一方で、<芸能人>というコトバも使われ(はじめて)ていたということがわかった。
使われ始めていた、というのは、たとえば戦前の、これまたオモシロな辞典、『大辞典』平凡社昭9-13に、<芸能人>はないのであるよ。

*1:正確には、むかし、参考調査法で教えられたことをオウムがえししとるだけ(^-^;)。