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古本オモシロガリズム

referenceの事例集DBが,意外と実務に役立たない理由

数年前から,ナレッジDBが「はやり(流行り)」だ。その流れで,reference事例の共同データベース(DB: ディービーと読む)を作るところがいくつか,ある。ま,knowlege management自体は,日本経営学者の提唱で米国に広がったもんだから,それなりに意味はあろうと思うけど。
で,レファDBだけど,reference史のmissing linkなぞを書くわちきであれば,当然賛成なのかとえば,かなりちがう。
かなり冷笑的(一度,書いたかな…)。
というのも。理屈と経験からあまりお得なシステムとはいいがたいのだ(・∀・)/

ヘリクツ(理論ともいう(・∀・))

またたとえ話ね。
referenceっちゅーのは方程式の解法に(概念的には)似てる。
いきなりむこう(お客)から問いがだされたのを,答えが出そうな方向に何段階か,問いを変形させて最終的な答えに落とし込んでいく。
方程式の問題集をみると,答えと,それにいたる何段階かの式の変形が書いてあるよね。reference共同DBってのは,本質的にはそれと同じもの。
ん?
答えが書いてあるから,それを他の図書館(や担当者)がパクれていいじゃないか,ってか。
そうだねぇ。その部分だけでは確かにラクにはなるねぇ。
でも考えてみてごらんよ。
方程式で,問題集の答えを暗記しても(本質的には)全く意味ないでしょ。数学が嫌いで嫌いで,もう金輪際やるつもりはなくて,でもこの一週間,この一学期,この一年だけ乗り切ればいい! って人には確かに問題の答え集ってのは役にたつねぇ(・∀・)。
でも,そゆふーに方程式を乗り切った人は,死ぬまで「方程式ができた」とは言えないよねぇ。
まとめると,
他人のreference事例は,たしかに役に立つことはある。けどそれは,解法の途中の方程式の変換部分を,詳細に,解説つきで解説したものに限られる。
あるいは,すでにreferenceの基本的スキルがある人が,省力化のためにパクるとか,さらにはまた,もう1,2年で異動しちまう人が当座しのぐために使う,ってのはありだわな。

で,実際問題

解答部分をどのように書くかが最大の問題になるねぇ。お客さんのプライバシーも問題だけど,それは(このてのシステムにとっては)二次的なものなのじゃないだろか。
ほとんどは,ほんとに結果だけ,痕跡だけの最低限情報しか書かず,事例として若干の普遍性があるもののみ,かなり詳しく書き込むって2極分化したものになるべき。
詳細なほうは,なにを「見なかったか」,なにを「見ようとしてみれなかったか」など,選ばれなかった選択肢の書き込みがかなり重要となるし,もちろん,検索戦略のような抽象的なものも。これらを,思想の科学の連中のマネして「補助線」と呼ぶね。
簡略なほうは,ほんとに答え(つまり典拠と答えそのもの)だけとか。
でも,こーゆーのって,得てして上司への報告書みたいに,その中間の中途半端なものになっちゃうんだよ。
レファレンス実務のためにデータを作ってるんだか,上司のためにレファレンスを作ってるんだか,わからなくなっちゃうとゆー最悪のパターン。
結果として…

レファレンスがたてこんでいそがしいのに,現実の我々には役にたたない上司にとって「美しい」データを入力する手間が,さらに増える。結果として,省力化にもならないし,たいして新人教育にも役立たない。残業代が増えた(つまり税金の無駄遣いをした)だけ。

とゆーことになるのだ…
いやはや。激してしまった… (^-^;) なんでだろーねぇ。なんでだかわちきには,ちーともワカラナーイ(・∀・)