書物蔵

古本オモシロガリズム

記事をネタにした恐喝は明治初めから

組織内不祥事や不品行を訴え出る場がないなぁと、思ったのは15年ほど前のこと。ちゃうど書物蔵が始まったのもその頃(*゜-゜)
どんな組織だって人間が構成しているんだから、いい人もいれば悪い人もいる。それはどうやって記述されるのか(´・ω・)ノ
そんな問題意識を持っていたところ、国会図書館にない本のジャンルに業界紙があるなぁと気づき、また業界紙は総会屋雑誌とジャンル的に隣接して忌避されることがあったこと(1981、82年の商法改正施行まで)、戦前のも戦後のも雑誌新聞の悉皆リストは総会屋雑誌避けのために売られたことにも気づいたことから、2011年ごろから本格的に総会屋雑誌史を追っかけはじめてゐる。
総会屋雑誌という概念は、株主総会、つまり株式会社の設立(日本郵船明治26年)と連動しているので、もっと広く、ブラックジャーナリズムを捉えたいとて「取り屋雑誌」なる言葉を最近は使っておるのぢゃが、いろんな呼び方がある。
なれば、とて呼び方にこだわらず、事業モデル(記事にするぞ/したぞ、と言ってお金をとる)の概念規定のほうを優先させて、いろいろな事例を集め中( ̄^ ̄)ゞ
いま一番初期の例はこれぢゃ。

本所松井町三丁目八番、中川茂吉方同居の林稲之助と、下谷長者町一丁目、佐野金之助方の掛り人、佐藤清助の二人ハ、兼て新聞のより呼売を渡世にしてゐたが、思はしい銭の取れぬ処から、フト悪策を考へ、
去二日に浅草公園地の茶店、柏倉きみ方へ行て
「お前さんの所でハ御法度の密売をやる事ハ何より証拠此通りの投書がある。新聞社へ届いたので分つたが、新聞へ出されたら迷惑をするだらふと、其処ハお互ひづく。お前さんの噺次第で新聞屋の方ハどうでも」とかなんとか、いひ掛りをして、
偽投書をびらつかせてゐる処を、早くも、おきみから其筋へ訴へたゆゑ、忽ち二人とも拘引になり、段々糾されると全く投書をこしらへて銭をねだりとる積りの事を白状したので送りになり、昨日、稲之助ハ40日、清助ハ三十日の懲役になつたのハ新聞売子の悪習を矯る何よりの見せしめで有ります。
『東京絵入新聞』(1096)p.1(明治12.2.9)

なるほどである。
これを分析するに。
まづ、脅したのは「新聞売子」。形式的にはこれは販売員なれど、おそらく新聞紙のごく初期の段階では、「探訪」(取材記者)と売り子は分化していなかったのではあるまいか。後の記事で(奇しくもこのまえ高円寺で拾った「新著月刊」最終号にのっていた記事で、その日の次の日、ツイッターでキングビスケット先生に採録本のことを聞いた)、探訪がさかんに悪いことをしたと書いてあったことからの類推ぢゃが。
「密売」に「ちこ」ないし「ぢこ」とふりがながあるが、ちとわからぬ。隠語か? 文脈からして密売淫のことだろう。つまり、浅草公園付近の「茶店」は大抵、密売淫をしている「曖昧屋」だから、どこでもいい、茶屋を対象に、おまえのところは曖昧屋だろう、投書が新聞社に来てるんだぞ、と言えば、お金をもらえると二人の新聞売子は考えたわけである。
ところがこの柏倉の茶店は曖昧屋ではなかったのだろう、恐れながらと警察へ訴え出たので、二人は捕まり、これこのように記事になったというわけだ。
「新聞売子の悪習」とあるから、明治12年段階で東京絵入の記者は、売子の「悪い習慣」つまり、結構前から「習慣」化していたことを暗に認めているということも、分かる。
もちろん、自分のところはそうでない、という確信ないし信念が記者子にあったればこそ、この記事を書いたんだろうとも言える。
いろいろ敷衍できる貴重な記事なり。
つまりぢゃ。
明治初めから、取り屋的な活動は雑誌新聞の周辺で発生していた。例えば1879(明治12)年の東京絵入りはかように報じているが、文言から、しばらく前から習慣化していたことがわかる、
ぐらいのことがスグ書けちゃふ、といふわけヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ
https://pbs.twimg.com/media/D-1SDwqU8AA0A_7.jpg

20190717追記

あとでヨミダス見たら、まさしくこれと同じ事件が報道されていた。KWは脅迫と新聞だったか。恐喝もありだねぇ。

フーコーの、交差配列(キアスム)

地下書庫にてこれを読む(σ・∀・)

なーるほど
ってか、ちゃんと学科の蔵書にあって他専攻にないのは意外であった(´・ω・)ノ

書評を読む

ふと思い出してこれを読む。
菊地 暁 , 書評 福間良明著 『辺境に映る日本--ナショナリティの融解と再構築』 ソシオロジ 49(1), 175-183, 2004
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/49/1/49_175/_article/-char/ja/
いやすごかった。
これが学問だなぁ、真剣勝負だなぁと思った。
岩波から著書もある人が、捏造しまくっていて問題になったことがあった。あれなぞは、最初から問題があったのに、きちんと批判されなかったから、世間様が持ち上げちゃったのだぐらいのことも言われている。
わちきも学位なんぞないにも関わらず、論理や知識だけはあるんで、頼まれて書評を書いたことがあったけど、気を使って大変ぢゃった。
あとで森さんに言われてナルホドと思ふたことぢゃったが、その本が理想的に書かれていたら、こうであるはづ、という観点から書くのが良いみたい。
逆にいうと、その本の主題で、時間が自分に無限大にあれば、現在の研究水準でも、こう書けるはづだよ、という書き方。
もちろん、論理として個々の部品にこのような瑕疵があるという細かいツッコミも必要なんだが。

神戸市立図書館でレファレンスが戦後、復活したことをどう捉えるか

大東亜省の有能な通訳だった志智嘉九郎
彼が1950年代の第一次レファレンス・ブームを主導したことは拙ブログにてルル述べてきたところ(´・ω・)ノ
ところでその志智は、ブームを始めたころ、自館の書庫に潜り込んで、実は自館の神戸市立が戦前にも同じサービスをやっていたことに自分で気づいていた。
これをどうとらえるべきか?

いま思いついたけれど、ローマ世界で古代都市がいったん滅んだ後、また同じ場所に中世末に復活してくる現象と同じに捉えればよいだろう。
昔はこの現象を、司教座という具体的な人的システムが続いていたから、と都市機能の継続として解釈されたこともあったみたいだが、むしろ都市昨日はいったん完全に消滅した。そしてその後に、地勢的に都市を営むに有利な場所は同じ場所だったので、同じ場所に都市が復活した、とみるべきなのだ。
その伝でいえば。

日本国に数個しかない開港場たる商業大都市神戸のニーズを背景に、いつでもレファレンス・ニーズはあった、というべきかと。

和洋会

フランスで書物の社会史がはやったはじめ、いったい一般読書人はどんな本を読んでいたんだろう、とて、そんなリストないかないかっ?って探したら、遺産目録に本が出てきてこれが使えそう、とて使われた、なんてことがあったようである(´・ω・)ノ あゝ、シャルチエが言及してたアレだ、とて拾う

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和洋会

来た本

書名:興信所の内幕 是れでも取引上の保証機関といふ乎
価格:¥2,160
書籍情報:竜池滴露,興信機関廓清会,1923,1冊
解説:裸本 ヤケ 背傷み 角スレ 167頁 p.35-p,36に小さな穴 四六判 ソフトカバー 大正12年刊