書物蔵

古本オモシロガリズム

太田博太郎はアタマいいなぁ

こんな文章を読んだ。

私が大学に入って、いよいよ建築史を専門にすることが決まったとき、原田先生はいわれた。
「歴史家にある以上、たとえ対象は建築でも、歴史学の研究法は一般歴史家に負けないだけしておかなければ学問にならない。それにはまず、六国史を全部読みなさい」
 これは実に大変なことであった。(略)父が東大の国史出で、家に旧版の『国史大系』があったから、
太田博太郎 師との出会い――私の奈良学事始め 図書. (325)p8〜11 1976-09

おとーさんは、実は、帝国図書館司書官だったのぢゃ( ´ ▽ ` )ノ
ってか、太田博太郎はアタマいいなぁ
この人の書いたものや、この人について書かれたものをよむと、さう思ふよ。

  • 太田博太郎「特集 民家の意味するもの 民家の研究と保存--私の歩いた道 近代建築. 26(9) p43〜46 1972-09

これ読んでさう思ふた。
こんな書評論も書いとるね。

現在の書評といふのは、単なる悪口か、おざなりの提灯持かの二つを出ない。学界は狭く、評者と著者とは個人的な関係があるから、忌憚のない批評は困難なことが多い。しかし、学問の世界はそのやうな世俗的なものを超えた崇高なものでなければならぬ。論ずべきは論じ、評すべきを評するのが公人としての、とるべき道であらう。出版物は公器である。一度、版となって出た以上は、たとへ著者との私的折衝でこと足りる場合でも、その結果が公表されないならば、一般読者に対する責任は全うされない。厳正なる批評を行ふことは、学者の責任の一つであらねばならぬ。私信を去った批評こそ著者の努力に対する真の礼儀であり、それによってはじめて学問の進歩もまた期待することが出来る。

  • 太田博太觔「設計室(著者の良心と書評の確立)」建築文化. (9)p27〜28 1947-01