書物蔵

古本オモシロガリズム

都下に読書の場は、ただ慶應義塾一処に御座そうろ〜ぉ

福沢諭吉全集v17(1961)所収の福澤諭吉による山口良蔵宛書簡(慶応4年6月7日付)に、こうある。

既に江戸市中にて英書を読候人物も沢山有之筈の処、此節何処へ如何相成候哉、読書の沙汰は絶てなし。都下に読書の場は唯弊塾一処に御座候。これも昨年に比すれば生徒の数三分の二を減ぜり。これに由て考れば、日本国中の文学、十分の九は消滅致候事と被存老荘

と、内戦で文事を行う人たちがいなくなったことを嘆くが、次の段でこうブチあげる。

天下の文運斯く衰微に及候処、独醒(どくせい:一人だけ酒に酔っていないこと)の見を以て独り文事を盛に行ひ、世の形勢如何を問はず専ら執行可致と存候。〔さすれば〕数年を出でずして必ず国家の為め鴻益を奏すべし。其費用の如きは一年一人え六、七十両も与へて十分なり。

と。つまり、内戦でみな教育・学問ができない今こそ、うちの塾だけでもやれば、数年もすれば必ず国家公共の利益となる。一人、6,70両も教育費があれば十分だ、というのである。
こういった流れで、自分はいままで成り行きで将軍家に仕えたりしたけれど、この際、武士(公務員)をやめて、

読書渡世

をする一民間人とならん、とゆーわけである。