書物蔵

古本オモシロガリズム

こげな楽しい記事を見つけたのは12/15(火)のこと。

こげな楽しい記事を見つけたのは12/15(火)のこと。

雑誌『古本屋』論

川本 〜私は阿佐ヶ谷で育ったんですが、中央線沿線――高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪西荻窪・吉祥寺界隈――は古本屋が多くて、中学・高校の頃から自転車でぐるっと、あの辺を廻るのが好きでした。〜
川本 〜でも、古本屋自体は、すごく大変らしいですね。「古本屋」という雑誌がでていましたでしょう、〜それが、この間、十号で遂に廃刊になって、その最期の特集が「下町の古本屋」だったんですが、読んでいたら可哀相になっちゃうぐらい経営が大変なんですね。
池内 駅前の結構いい所にあるから、税金が高い。〜それと、情報が行き渡っちゃって、掘り出し物がまずなくなった。

1990年に、もう古本は捨てられる時代になってたんだねぇ。わちきの記憶では、まだまだ本は高いものであった覚えがあるが。

メディア論

佐藤春夫オーストリアの殺人事件を紹介する文献を書いていたことをうけて。

池内 昭和八年の初版では本文の上に、小見出しに当たるものが入れてあるんです。「凄惨なる現場」とか、「嘘つけ、それは嘘だ!」なんてね。
奥本 今でいうと「日刊ゲンダイ」かな(笑)。
池内 新聞のセンセーショナリズムがとりわけ強かった頃でしょうね。今でいうテレビと写真誌と週刊誌を兼ねていましたから。このあたりも佐藤春夫の着眼のよさをしのばせますね。まあ、何の役にも立たない本ですが……。

初版の、ページ内識別子ってゆーんだっけ、さういったもんの指摘を古本でやってゐる。さすが古本マニアにして文学者ぢゃ。
いはゆる「みよろごろ本」の延長にあるもんかいなぁ。昭和初期エログロナンセンス時代の余韻か。
このあとでこの記事は「ふらんす物語」を持っていた、丸木砂土こと秦豊吉の話になる。

川本 彼でしょう、世に二冊しかないという荷風の『ふらんす物語』の発禁本の一冊をもっていたのは。梶山季之の『せどり男爵数奇譚』に出てきます。〜
川本 荷風がもっていたのは、荷風が死んだあと、荷風の研究家の小門勝二の手に渡ったというんですが、あの方も死んだでしょう。そうすると、どこにあるのか〜

せどり男爵数奇譚』はすでに古本ネタでは鉄板になってたんだなぁ。
こういった貴重本、初版本を誰が持ってゐるかといふのは、古本マニアの座談で語られてゐたのだなぁ。かういった文芸雑誌などに載ると、記事化(=視覚化、資料化)されるわけですな。

最後に各人の書物趣味について

奥本 ぼくの場合、好きな虫の本なんかは、世間からいうとたいていみんな奇書です。マニアの本ですから。
池内 ラジオが全盛の頃に、「話の泉」とか「トンチ教室」なんかがあったでしょう。あそこの常連だった堀内敬三山本嘉次郎渡辺実一郎や大田黒元雄や石黒敬七とか、ああいう人はみんな、それぞれレッキした職業があったんですよね、映画監督や音楽学者やジャーナリストとか。でもそれはむしろ仮の職業であって、人生を楽しむのがむしろ本職だった世代というか、形がありましたね。〜
奥本 いわば通人ですね。
川本 出版社でいうと青蛙房。あそこの本て、大好きなんですよ。というのも、いつも箱入りだったんです。〜

この記事には1990年当時人気だった作家などから奇書のアンケートが掲げられてゐる。
谷沢御大は、 奇書輯覧 前後篇 / 集古洞人 中野隆一 1937 を挙げてゐるのはよいのだが、いま検索すると、なぜだか元版が神奈川県立にのみ残ってゐる