東京堂版や雑誌年鑑との関係
『雑誌年鑑』と『出版年鑑』は昭和14年から16年にかけて雑誌情報がかぶるが、昭和17年版にいたり、出版年鑑のほうが書籍年鑑となることで、相互に情報重複が生じないよう、書籍年鑑には出版年鑑にあった雑誌情報が載せられていない。p.101に『雑誌年鑑(昭和十七年版)』の広告があり、「本書は書籍年鑑の姉妹刊にして」とある。昭和18年には雑誌年鑑が廃され、日本出版年鑑となって、もとの出版年鑑と同じ性格(図書主体で雑誌も載せる)に戻る。
こねた
「書籍出版界・読書界彙報」の昭和16年5月に、「ヱホンの表紙に年齢表示」が立項。情報局第四課と出版界が「相談」して、3、4歳向けなら、「3-4」か、「三ー四」と数字だけを絵本表紙に表示するようにするという。しかし、「相談」って、また示達ですかいな(-∀-;)
「逝ける人々」から肖像写真がなくなっている。紙不足が原因???
日本主義図書分類?
「昭和十六年度出版書籍目録」は、それまでの『出版年鑑』所載のものと編成が根本的に異なる。
・出文協制定の分類によっている。東京堂版時代は、哲学をはじめとした26のmain classになっていたが、17年版では、皇室をはじめとする16のmain classになっている。東京堂時代には総記がなかった(図書と統計類に分かれていた)が、17年版分類は、末尾main classに総記をかかげ(八門分類のまね?)、かなりはっきりと図書館学の影響がうかがえる。さらにまた、main classの最初に皇室類を樹てるとは、これはもう、アレ、なんですよ、日本主義図書館学ではありますまい乎!(゚∀゚ )アヒャ
・排列は分類のもとで、まず要約文つきと、なしにわけ、(かきかけ
・『東京堂月報』あらため『読書人』と、『出版普及』(日配)、「納本日誌」(内務省)
「一分類一索主義の便法」をあみだした、という。