書物蔵

古本オモシロガリズム

古本三連荘! 古本おもしろがりずむの復活


眼が覚めたらけふは土曜日
なんと、まだ神保町の趣味展に間に合ふぢゃありませぬ乎!
わうわい、とて神保町へ
んー、もっと扶桑さんとこで拾えるかと思ったけど、『図書月報』の創刊号ぐらいか…
東京堂へ寄って、紀田順一郎先生の新刊を買ふ。
ってか、軍艦(だったっけ、真ん中の平台)に、小谷野敦中島敦殺人事件』がヒラ置きになってたのにびっくり(×o×) んー(  ̄▽ ̄)東京堂なればなり、と…(^-^;)
それから秦川堂へ寄って軽くシャカシャカ
ないなぁ(´・ω・`)
なれば、とて高円寺なる均一市へ
ん、さうぢゃ、と思ひつきて森さんを呼び出す
森さんやってきたのでふたりしてぐるぐる廻るなり
けっこう拾えた(^-^;)
だって200円なんだもん(=゚ω゚=)
チト、安すぎだが、明日になれば100円なのだなぁと思うと…(^-^;)
図書館本が結構でていたが、ほとんど持っていたので、BSH3edなど。BSHの委員会がなにを考えて間違ったのかを思い出そうと思ってね。失敗学ですぢゃ。
それから喫茶店でお茶。
いろいろオモシロな話たくさんo(^-^)o
バカにしつつも同情してとりあつかう*1スタンスは、フランス語で自由間接話法という話法で表現しやすいこと。フロベールなどが小説で使ったこと。フーコーが名手だったこと。なれど日本語にこの話法がないため、日本では全面肯定か全面否定かのどちらかに誤読(誤訳)されやすいこと。このことなどは、まさしく本物のト学やわちきの大東亜ト学に通じる話だなぁと思う。
志保田先生の間宮論文も、もっとつっこみどころがあり、とくに図書館雑誌の改革でさすがの間宮もひとつだけできなかったこと、そのことをもっと掘り下げて書けばオモシロくなったに…という話も。
ほかにも、牛涎的博士とか、太田ろくろうとか、横山しげおとか、とかとか。
PCにくらべbookが拾い読みできる件で、それは冊子目録に対してOPACの欠点でもあり、全体が直感的にわからない件をのべ、それを測るテクニックについて話す。
わちきは「図書館雑誌」計測法と呼びたい技法なのだが、それについてはまた今度。
時間になったので、戻る。
途中、古書現世へ寄り、めずらかなる近代書誌学本をばゲットす。
セドローさんと、ついつい話し込みそうになる(^-^;)
やっぱり今度は飲める体制で遊びに行こうかしら(  ̄▽ ̄)
バイトの山がきのふ終わり、すっかり肩の荷がおりたので… 

追記1:誰も事物を文脈なしに認識できない。

いわんや、論述においておや。
個別の事象を、どのような構図にハメこんでいくか、逆にいえば、その論文がどーいった世界観や信念体系のもとで書かれているか、ということは、読む側(批判する側)にきはめて重要であったりもする。
まぁ、書き手と読み手の世界観のズレっちゅーもんは、読みづらさとして認識されるものではあるんだけど。逆に、まったくおなじ信念体系の中に棲んでいる同士だと、そこいらへんがわからなくなりがちなので、論文を書くような(批評するような)場合には気をつけねばなんね。
わちきなぞ、なして大東亜ト学をば追及するかっちゅーと、そこがオモシロいからなんだけどね。
さすがに1945年以降のト学は、現在の、「民主が正しく、象徴天皇が正しく、利用者が正しい」ト学の同類なので、「(゚∀゚ )アヒャ」というオドロキが少ない(*´д`)ノ そこいらへんに自覚的でないと、漫然と、バカみたいな「正しいものが正しい」と呼号するような言説しか産出でけんということになる。いちど、新しい図書館記念日の件*2でどなりこみがあったけど(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20090430/p1 のコメント参照)、あのどなりこみなぞはその典型。

論敵の体系を<こっちが>創ってやらねばならぬ、とゆー手間

これに関して森先生とオモシロばなし。
論述上のある手間について。
論敵、というか議論上の仮想敵のほうがアタマが悪い(といふか、自分の信念体系を無意識に下敷きにしたまま、その部分としての論文・記事を書く)ことが多いので、批判をするためには、批判をする側のこちら側が、「あなたの信念体系は、これこれこうでしょう」と創ってあげねばならなくなる、とゆーことがソレ(σ・∀・)σ
だから、ご本人の論述そのものには、「わちきは事大主義者なり〜」などと、文字通りの記述が見つかるようなことがない場合、こちらがむこうの論述の断片を論理操作して、相手の○○主義っぷりを記述せねばならなくなるということが(よく)ある。
まったくもって同感なり。やれやれなり。
もちろん、この技法によって、ある程度文章を遺しておいてくれたヒトなら、過去の誰とでも会話ができるようになるんだけどね。これについては演習として日本図書館史ネタ「ゴロウタンは三度死ぬ」でやったけど。

*1:うーん、この部分は、論理としては正しいので森さんの表現形をそのまま用いてしまったが、「バカにしつつも同情する」というのは、「共感しつつも批判する」というのに置き換えられるなぁ。大東亜ト学に関していうと、こっちが文学的ニュアンスとしては近いか。

*2:戦後の記念日制定に、1990年代のJLAによっていつのまにか、制定当時の1970年代には慎重に避けられていたらしい「反天皇制」的性格が付与されていた件。あのー、それって現行日本民主国の国体に反するんですけど…(σ・∀・)σ 指定管理者や委託の図書館員はともかく、直営図書館の公務員らは原理的に支持できないはずなんですけど…(σ・∀・)σ ん?(・ω・。)、わちきって天皇万歳主義者に見える?(^-^;) いや、単に現行の(中途半端な)国体を是認しているだけなんすけど…