書物蔵

古本オモシロガリズム

マキ・タキマツ失職す!

ちょっと前、外務省史料館に在籍していた職員が、起訴休職中であったところ有罪が確定して失職したという。ってか、これは法的にはともかく、歴史的には上司達の罪を転嫁されたように思える。省内のうわさにもそのようなものがあるらしかったが…(・∀・)
ところでここにもうひとり、有罪が確定して館員の職を失ってしまった公務員がいた。
その名を、マキ・タキマツという。
ん?(・ω・。) 牧・太喜松ぢゃないかってか(^-^;)
もちろん、そうともいう。でも、やっぱり、歴史的にはマキ・タキマツ。
オタどんが「新興仏教青年同盟」の石川支部に県立図書館の司書が参加していたことを見つけてきて、それがマキ・タキマツ。http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20090708/p1
実はわちきもそれ調べたことがあるんよ。とゆーのも、クニゾーたんが転向左翼だという珍説があって、それがマチガイだと確認する延長上で、マキ・タキマツも調べたのであった。
ニチガイのデータによれば、

マキタキマツ 【まきたきまつ】
明治31(1898)年1月12日〜昭和56(1981)年5月19日
大正・昭和期の図書館員、児童文化運動家

となっている。児童文化運動家として地元、金沢では有名な人だったらしい。そんで、自叙伝が次の本なわけ。
ター坊のひとりごと / マキ タキマツ著. -- [マキ タキマツ], 1963
あの国会図書館にさへ見あたらないので、金沢文圃閣さんから言い値で買った(^-^;)
これによると、県立図書館開館時(1910)、出納手で県立図書館に就職したが、1917年に上京し四谷の宮子書店に勤める。大正11年に帰沢して、『金沢新報』の記者に。さらに県立図書館職員として勤め始めたのは1924(大正13)年の春のことだという。んで、昭和2年ごろから『月報』の編集を担当し、昭和6年度から、『月報』を横書きにする。なんと、マキはカナモジ会のカナモジ運動家でもあったのだ。
だから、マキ・タキマツなのだ。
(かきかけ)
明45.2.13 大6.4.30
大13.3.22 昭13.4.8