書物蔵

古本オモシロガリズム

ぼやき、および電脳セドリをめぐる随想。そしてそれはレファレンス・サービス論へと…

まいったなぁ(・∀・`;)
電脳せどりのエントリがやけに人気… やっぱり栗原さんとこで言及されたからかなぁ… ん、でもそれだけでもないか。そのまえからブクマ増えてたし。
ってか、最初、読んだ人にほんたうに「回避」してほしくてUPしたカキコなれど、その前フリで電脳せどりノウハウを書いたら、どうやらそっちのほうがウケたやう…

電脳せどり随想

友人Cからは、電脳セドリを真似る人がでてくるから削除すべし、という意見が寄せられ、わちきもそうかしらん、と削除しちったんだけど、よく考えたら逆に、どんどん参入してもらって、空売り相場を下げさすのも手かしらんと思ったりもして(^-^;)
基本的にこの自由主義社会において、なになにするなというのは言っても詮無い。特にAmazon.co.jp空売りを黙認しているようなので、モムーリでございますですよ。なれば、ちがう方策もあるかと。
いまの、3倍づけ5倍づけの法外な利幅でなく、1.5倍ぐらいであれば、それはそれで「日本の古本屋」の足りない部分で口銭をとるという本来のせどりの社会機能を果たすのではあるまいかと。
ちなみにブクマで、1)「日本の古本屋」の連中は機会損失を残念に思わないのか、というのと、2)電脳せどりはわちきの記事で逆張りをすればよい、というのがあったが、それぞれについてここでチト述べておく。

「日本の古本屋」の連中は機会損失を残念に思わないの?

まぁ代表として「日本の」を挙げさしてもらったが、これは要するに旧来のリアル古書店Amazonに乗らない機会損失をどうみておるか、という問題である。本質的には個々の商品データをぶら下げる親データ(書誌)の問題があって、これを語りだすとエントリをもひとつ建てる必要があるんでうっちゃっとくとして。
旧来リアル古書店の世界は、複製芸術品(印刷物)を扱うといえど、希少性が高い、つまり、本来の芸術品にちかい一点もの的な性格の商品に特化しとるんで、じつは売り手のほうが強い構造をいまだに持っているのである。その結果かどうか、いまだ近代化・現代化の進んでおらぬ業界だから、あんま気にしてないんじゃないだろうか。
それにせどりという商慣習も、ほかの業界に比べればずっと正当な商慣習として大昔から認められてきたのだし(だから「せどり」の語源が不明、などということになっている)、「せどりですか、どーぞどーぞ」なのである(もちろん、いまはずいぶん気風が変わってきただろうが)。昭和の中ごろまでは、せどりだと言えば、せどられるほうが値引きせねばならん、などという慣例もあったそうで(ちと、あきれるが)。だいたいがさぁ、毎週末、古書会館で開かれる古書即売会(古書展)にしてからが、その起源は明治期せどり師の交換会だったと、たしか東京古書組合五十年史. -- 東京都古書籍商業協同組合, 1974にあったよ。
日本の古本屋のビジネスモデルと検索機能に瑕疵があるとしても、じつはあんまり気にしてないのではあるまいか。もちろん、わちきは旧来リアル古本屋ファンであるので、わちきの小言をぜひ聞き容れてほしいものではあるけれど。→http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20081008/p2

わちきの指摘の逆張り

逆張りをするのはかなりムズイのでは。
ってか、簡単な逆張りは、相場の倍率を下げることだよねぇ…
あとはよい評価をなんとかして95パーセント以上にするという手もある。ひとつ考えられるのは、通常のブコフせどりを一緒にたくさんすれば、じつは良い評価のパーセンテージは上がるねぇ…
ということでぜひ逆張りをいたしませう。

レファレンス・ライブラリアンの生き残りの途

これこのように、極めて流動性の高いネット世界でおいてすら、(本の世界では)わりと有名な「日本の古本屋」ですら善男善女は知らないし、知ろうともしない。であればこそ、ネットの世界においても紙オンリー時代同様に、情報の案内人が成立するニッチは残っておるのではないかいな。質問サイトが流行りだけど、あそこに図書館員は出て行くべきだよ(もちろん、選択的にやるべきだろうけど)。
ネットの世界に、本の専門家がでてきて、いろいろ指南する余地は残っていると思うのだが…
けど、リアル図書館員ってば、カウンターから出ようとしないんだねぇ…