書物蔵

古本オモシロガリズム

大東亜トンデモバスターのお友達は戦後、カード仕分け棚を創った人(・∀・)

畏友がめっけてきた大東亜トンデモバスター島田春雄
ずいぶんとまともな人だったらしいのに、大日本言論報国会理事だったから戦後は追放令にひっかかって、苦労したという。
で、島田さんと一緒に「国語国字改良反対の反動団体」たる「日本国語会」を創った人たちのうち、ひとりが戦後、国会図書舘に這入り込んでいたといふ。
さっそく調べてみた。
最初、古い職員録をみたんだけど、索引がついてないので容易にわからず。せうがないので、悪名高き『五十年史』のじつは重要な資料編を引いてみると早速に。

鬼塚明治
「整理部印刷カード課長」1948.9.30-1948.11.19
「受入整理部〃課長」1948.11.20-1959.3.30

とある。
わちきが買った旧廿日出蔵書の同館職員名簿「昭和三十四年十二月十五日現在」に載ってはいないということですな。辞めた時期から言って、NDL疑獄の「春秋会事件」の巻き添えを食ったような気も…(要調査)
ただ次の年の名簿「「昭和三十五年十二月十五日現在」には「館友クラブ名簿」が新しくついていて、そこには名前が出ている。神奈川県高座郡座間町の人らしい。
日本国語会については手許の文藝年鑑1943版(の彙報昭和17年7月b団体の動き)、地方文化団体総覧1942版(索引)を見たけど載ってないみたい。どっちかっつーと反体制側だからかすら。
参議院時代、第1回国会の図書館運営委員会(昭和22年10月3日)で事務局として答弁をしているね。
「民主主義的国語観に出発した漢字制限(漢字制限反対論集)」『大法輪』(昭和17年6月号)
鬼塚式速記 なんちゅーもんを昭和4年につくっていたりも。
「印刷カードの諸問題」『びぶろす』第4第5号(1953年5月)
『指導のてびき』日本フォークダンス連盟なんてのも、鬼塚さんの執筆らしい。ネット上に鬼塚さんに習った人がいるね。
んでもって。
『三十年史』をみるとなんと(×o×)
LCのまねをしてNDLがやったドリーミーな「印刷カード」。その仕分けだなを開発した人として図書館史に名が残っていた。

作業室に現存する、初代課長鬼塚明治考案のカード仕分棚は、草創期以来の歴史を今に伝えている。(p.446)

しかしオタどんってば、オモシロ人物をだしてきますの(^-^*) 図書館史オタクもはだしで逃げ出すよ(・∀・)