書物蔵

古本オモシロガリズム

はぁ

『子どもと読書』(2007.5/6)が「特集子どもにとってマンガの魅力とは」をやっている。この雑誌って文庫運動家さん方の雑誌らしい。事実上、図書館とマンガの特集。
「マンガは私たちにとってむしろ苦手な分野ですが」と正直にあとがきにあるように、残念ながら拾うべきことを書いてあるのはひとつだけ。鹿野恵子「何かと問題になる小・中学校図書館のマンガの存在」(p.9-12)
これに、「前任者はすぐになくなるので入れなかったと引継ぎをされた。確かにマンガは紛失しやすい。」とあった。ほかの5つの文章にはこのことが書いてない。
よりオモシロなのは。「どんなマンガを入れてほしいかを〔中学〕二,三年生に聞いた。(略)予想外に空欄の生徒が多かった。もっと喜んでいっぱい書いてくれると思っていたのに、なかには「学校の図書館にはマンガは入れないほうがいい」というコメントもみられたほどだ。」
いま、わちきはオモシロと表現したが。これは実はきわめて重要なことだよ。
もちろん、この方をふくめ、「マンガ=>選択=>良いマンガ=入れるべき」という教条を前提にしてて困っちゃうんだけどね。
この特集にもニシゴーチ先生が『はだしのゲン』論をひっさげて登場してる。はぁぁ。ゲンが一種、ふしぎな迫力をもった作品であるのは認めるけど、本質的な魅力が教師たちを図書館でのゲン受け入れへかりたてたという先生の立論は逆さでは。むしろ、その政治的正しさをもってマンガ禁止の学校文化へすべりこんだのだよ。
むしろゲンはPC的回路をつうじて学校図書館に滑り込んだはなはだプロパガンダ的側面をもっていながら、それを越えてあふれてしまう作品としての過剰さをもって子どもたちにインパクトを与えてきた。
残酷さの過剰さとか、うらみとか。ホラーマンガとしてのゲン、ってもう誰かやってるか。
だいたい読みようによっては、戦後民主主義批判に通じるエピソードも満載で、けっして戦後民主主義的な正しさに収まるような作品じゃないのだ。