書物蔵

古本オモシロガリズム

池田文痴庵の絵葉書趣味

昭和の今日、絵葉書趣味というものは、全くスタれて終ったが、僅かに年一回の“賀状”に明治最盛期の俤を残している。(略)
 おもい返せば日露役頃、日本絵葉書会が成立して、全国的に会員を募集し、その交換が活発に行わcれた。
(略)
 そこで、“エハガキ屋”が次々と開店し、東京芝愛宕町のなあヶ島、同桜川町の太田金録堂や虎の門金比羅サマ隣りのマルキヤ(主としてコロタイプ版)の如き四十二三年(一九〇九-一〇)にかけて流行の極致で、この頃は“東京名物”として美人絵葉書(万竜、栄竜、昭葉…などの名妓百体)、名所絵葉書が飛ぶ様に売れた。
 絵葉書専門の雑誌や之をハサミ込んだ雑誌は次々と趣向を凝らし、
(略)
 外骨翁は一時、おびただしいダブリと共に五十万枚の整理を楽しんで居り、
 「電車に乗った時、私に席を譲って下さった方に二三枚づつ御礼に上げるのです」
と、ふところに手をやる姿も、本稿執筆中眼を閉じれば案上髣髴として現れ来たる。