書物蔵

古本オモシロガリズム

yoneiさんへの返信

これはきのふのentryに来たyoneiさんへの返信でござる〜(ってか、拙ブログに来た図書館史研究家はbiblioblogger図書奉行タンについで2人目)

 なんともさすがです。ってかこの世で唯一の楠田ゴロータ研究家(とおぼしき)yoneiさんをみあやまっていたわちきの不明をば、恥ずる次第。とゆーのも。
>吉岡三平なんかはどうやら
 いやぁ(・∀・`;) わちきが隠し玉と思ひて用意してたのが吉岡三平なのですぢゃ(^-^;) これで先生をおどろかそうかと思っていたのですぢゃ。吉岡については末尾にまた。
>実務上の課題に直面していた私にとって
 なるへそ。面白いと思ったのは理論上の話ではなく、実務上の要請であったというわけですな。わちきなぞ、きっかけはいつも古本…(^-^;)
>どこで楠田を知ったかと言いますと,上海日本近代科学図書館のことを調べている時に
 ははぁ。外地外邦の日本系図書館ですのー。外地ものは古本が高くって(^-^;)
>貸出運動至上主義者に対する教養主義的文化人的図書館人の批判というのは,当時からもあったわけですね。
 あゝ、まさしく対立図式としてはハマりすぎるぐらいでございまする。ただ、昭和10年前後の批判は、「教養文化」というよりも学校教育の補完としての「通俗教育」、つまり自習室としての図書館に「来館者がいないぢゃないか」という批判で、昭和10年の批判の図式としては、すこしずれる気がします。
 むしろ、「館外奉仕vs.館内奉仕」といった図式ではないでせうか。ご存知のとおり、市立の設置趣旨(というか設置寄付者の意思)は、教養というより自学だったのですし。

吉岡三平キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

 でもまさしく主導権を握ってからの吉岡さんは教養文化派で、むしろ楠田の名声が常に謙抑的にしか語られなかった(あるいは吉岡さんが<語らなかった>)のは、実は、戦後の吉岡さんの価値観によるものだと、いま、思いつきました(戦前期はなにななんだかわからんままやってたとご自身が)。
 フツー、地方の偉人は郷土史研究者によって顕彰され広められるものです。では、まさしくゴロータの最初の業績があげられた岡山で、郷土史家の第一人者ともいふべき人は誰だったのかといへば、そりゃーもう、吉岡さんだったわけで。このとは、実は実は、先生が1996年に正面きって論じるまで、ゴロータをほぼ忘れられたものにした最大の(そして語られない)原因ではないか、と、yoneiさんの言葉でたったいま思いついた次第です。
 ことは、ある図書館長が楠田好き嫌い、ではなく、ゴロータの場合、なんとまあ不運にも、彼を顕彰すべきその土地の代表的郷土史家の価値観に直結し、それが決定的に楠田の顕彰をはばんぢゃったのではないでしょうか。
 先生の山根追悼論文は未見です。てか、私が先生の楠田論のうちまだパラ見してない唯一のものでして(^-^;) さっそく入手せねば…
>戦後,楠田をプラスに評価したのは石井敦さんと黒崎義博さん(故人)
 黒崎義博さんて亡くなってたんですねー。さっき調べました。黒崎[1992:77-78]ではたしかにゴロータを

これこそ日本図書館史上に名高い我が国最初の元祖「移動図書館」です。
(略)〔1898年米国メリーランドの本の馬車を紹介して〕馬車とリヤカー、如何にもお国柄を現わして面白いと思いますが、(略)当時誰も考えつかなかったリヤカーによる移動図書館を始めていた創造性と決断、行動力にはただ最敬礼あるのみです。

と評価してますけど、実は黒埼さんは吉岡さんのお弟子さんで、図書館学というよりも郷土史的文脈での記述をしているような雰囲気がむんむん。実際、「移動図書館」の概念規定や、「リヤカー」なるものが本当にリヤカーなのかについて疑義が…(これについてはネタがあるのでした)
 さういふことで、図書館学というまがりなりにも専門的なものがあるのかといへば。
 石井さんのプラス評価って、じつは米井[1996]のあとのもの(石井[1998])しかないのではないでしょうか。じつは米井[1996]が石井[1998]を招来したような気がします。って、しばらく前に読んでコピーがどっかいっちゃったので、石井[1998]を探さねばはっきりしませんが。
 画像は黒崎著の若めの吉岡さん(右端)。
>ゴシップ
 これについてはさらに調査してからということで… ではでは〜