書物蔵

古本オモシロガリズム

貸出運動家、満洲に死す!?(満洲に消えた楠田五郎太 4)

動く図書館の研究』を書いて、バリバリ貸出運動をした楠田五郎太くん
の唯一?の研究者たる米井勝一郎氏なんかは楠田は戦後行方不明あつかいだったのではないか、と書いておったが…
ぬぁーんと! このまえ古本屋から購入したパンフレットに楠田五郎太を発見o(゚ー゚*o)(ノ*゚ー゚)ノ
それも、

物故者

として。
大発見なり!`・ω・´)o
日本図書館協会創立60周年記念行事の栞. -- [日本図書館協会], 1951
いやぁ、どーもおかしいと思ったんよ。むかしは今よりずっと業界内の紐帯は強いから、生きていたにせよ死んでいたにせよ、行方不明というのはちょっとありえないんじゃないかと。
このパンフにつぎの欄がある

物故者氏名一覧
1941年(昭和16年)以降1951年(昭和26年)8月31日までに物故された図書館関係者の氏名を収載してあります。最終勤務先を氏名の次に掲げ、これの所在地により各県別に排列してあります。

で、名簿の本体のほうをみると、当然のことながら戦後日本ワールドなので外地・外邦の項目がない。戦前の「日本世界」にはデフォであったものなのに…
ところがなにげに東京都のところをみると(×o×)

楠田五郎太 新京市立

なんと( ゚д゚) (つд⊂)ゴシゴシ (;゚д゚)!!!
外地・外邦の項目がないから東京にブチこんじゃったのね(・∀・`;)
楠田くんは昭和19年末か20年はじめに満洲出版文化研究所に転職しとることが米井先生の調べでわかっとるから、最終勤務先として新京特別市立が正しいかどうかはわからんが、すくなくとも、もう死んじゃってる、という認識はこの時期の図書館人に共有されていたということですなぁ(*゜-゜)
これから確実にわかることは
・1945〜1951.8.31の間に死んだ
・戦後、内地での勤務歴はなかった
・行方不明でなく「死んだ」ということになっていた
とすると、やっぱり1945年のソ連侵略による満洲国崩壊にまきこまれ死んじゃったと考えるのが妥当では。

A:あの、さいご新京に勤めてた楠田さんって、どーしてるの? 引揚げてどっかであの調子で貸出ししとるのかの?
B:いや、満洲に行ったまま、終戦の混乱で死んだんだってよ
A:そう…

ってな会話がこの式典であったことでせう(*´д`)ノ
大陸帰りの誰かが、死んだという事実を内地の司書たちに伝えてくれたんだねぇ(*゜-゜) 弥吉光長あたりかな?

傍証として

ちょっとまえ、シベリヤ抑留での死亡者リストが出版されとったが、それに楠田は載っておらんかった。