書物蔵

古本オモシロガリズム

新聞縦覧所

新聞縦覧所が、明治初期、官立ないし官主導で出来たが、すぐに政府が新聞弾圧方向に転じて後、明治10年前後から自由民権的な新聞縦覧所ができ、それが廃れて後、明治30年前後から民営ミルクホール的なものになり、出会い系になっていった話は、かの山本ブリ先生『近代日本の新聞読者層』に詳しいが。
それでもなお、梅原北明などはその新聞集成類を編纂する際に靖国神社の縦覧所を使った話が残っており、この縦覧所は例外的に写真も残っていて、たとえば『公共図書館の冒険』(みすず書房、2018)に転載されているものなどがあるのだが。
神社内での位置やそもそもいつからいつまであったものかが、いまいちわからんかった。
それが今、噴水史専門家さまのお助けで少しわかった。
https://twitter.com/gelcyz/status/1462415966629863427
明治40年5月2日の都新聞あたりであるらしい。
いまググブックると。

八月これよりさき七月二十七日、吉野小三郎、境内相撲場に接し、泉水池に臨む地を選んで新開縦覧所を建設奉納す。全国各新聞社に新聞一部の寄贈を促し、是日、開館す。建坪四〇坪八勺。

都新聞記事では、間口5間奥行3間とのことなので、写真は立て直して大型化したものか。場所は同じっぽい。