書物蔵

古本オモシロガリズム

「今日のようにコピーできず、雑誌の本文を筆写するしかない」

昨日は岩波新書青版を求めて所沢まで筋斗雲にて進出したが、結局、お目当てのものはなく(あきらめてネットで買うつもり)、かわりに次の本を得た。

  • 和文学への証言 : 私の敗戦後文壇史 / 大久保典夫 著. 論創社, 2012.11

これに複写サービス史の片鱗が書いてあったから。

当時〔1958年頃〕、国会図書館の雑誌部は、二階を横切った片隅の一角にあって、今日のようにコピーできず、雑誌の本文を筆写するしかないので、切り取っていく者もいて、管理は厳重だった。〔それゆえ出典に戻る手間が出せず〕同じように孫引きも多い。(p.96)

別途NDL三十年史でも引いて確認する必要があるが、昭和33年ごろ複写サービスは一般来館者が使うようなものではなかったようだ。複写サービスが「切り取り」対策でもあったということは、これは今日忘れられている。また今の乾式複写機が普及する1980年代より前、文章に他人の文を引用してるのを見たら、基本、ノートか記憶か、なんだよね(σ・∀・)
あと、本を持っている場合もあるかぁ… やっぱり古本を使わないと正確な研究はしづらかったんだなぁ(゜~゜ )