書物蔵

古本オモシロガリズム

著者名と雅号、ペンネーム

むかーし、そう、あれはわちきがバイト先でビョーキになり、長期療養した際のことぢゃった。療養の一環で某学者さんの家で古本合戦をしたときのこと。
棚に、人名についての本が刺さっていたのを見つけた。

はて、名前についての本とは、ある種のトリビアなのかしら、と思っていたが、そのココロは(その図書館情報学者が所蔵していた意図、ないし文脈は)調べものの対象としてのヒト、調べる際のインデックス形としての姓名の漢字形や読み、図書データベースで重要なアクセスポイントとなる著者名標目フィールドの中身としての氏名、ということだったのだなぁと、今からは指摘できるところである。
最近『ファミリーヒストリー』(2008-)の後継番組『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』(2017-)なんかもあって、人名研究は盛んになってんのかな、と思いきや、じつは人名研究って、歴史学では居場所がないのか、研究者は少ないのではあるまいか。

太田, 亮, 1884-1956 佐久間, 英, 1913-1975 丹羽, 基二, 1919-2006 森岡, 浩, 1961- 宮本, 洋一, 1980-

といったところ? それにつけても『角川日本姓氏歴史人物大辞典』が未完結に終わってしまったのは残念至極ぢゃ。
ところで、森さんの示唆によって次のようなものを読んでみた(´・ω・)ノ
https://twitter.com/livresque2/status/1069681415057330177

わたしは雅号の起源をたずねて、『古今要覧稿』に抜萃するところに拠ったが、この編者は我が国のことに触れて次のようにいっている。「皇朝ニテモ、文字ニ携ハル人ハ号アル人モアリ、然ルニ後世ノコトニテ、古ニハ所見ナシ、ソノ号ハ議場ナレバニヤ」といっている。わが国では、禅僧などが早く号をもちいたようだが、徳川時代になって儒学が盛んになるとともに、漢学者がシナの例にならって、名のほかに、字(あざな)や号をもちいることが流行した。

またさらに宣長『玉かつま』を引いて「「某の屋」の雅号が国学者流である」とする。

この時代〔明治期〕に、文学者ばかりでなく、新聞記者、その他文筆を弄ぶものは、みななんらかの雅号をもちいていた。こういうなかにあって、いち早く雅号の廃止を宣言し、この意味で、ペン・ネイム史上に新機軸をひらいたものがある。初期社会主義者堺利彦(枯川)である。

こうしてみると、雅号は江戸から明治にかけて流行り、大正期からは本名やペンネームで著作されるようになっていたといってよいね。
著者略歴が1942年の統制団体のお願いから始まったから、こんなふうにわけられるかしら?

著者について知るには

~室町期 『国書人名辞典』を見て出なければわからない人
江戸~明治 雅号から本名ないし代表名をみつけるのがキモ。明治初めは奥付に本名あり
大正~昭和 ペンネーム→本名を見つける。1942年以降は奥付を見る