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古本オモシロガリズム

10年まへのレファレンス論

Date: Thu, 27 Aug 2009 のメール

ある人、友人DかEから来たレファレンス・サービスについての話題に、わちきが答へてゐるもの。
固有名など、問題なきやうにかなり改変(σ・∀・)

――実は、「これからはレファレンスだ!」というのが新興宗教のようになっていったらちょっと嫌だなあと思っているのですが、心配するには及ばないでしょうか?
心配するには、およびます(^-^;)
Tリンとも話したのですが、いま、第2次レファレンス・サービス・ブーム(。・_・。)ノ
第1次は1950年代の志智嘉九郎によるもの。
レファ協が、本質的にはパッとしないのに、妙に評判がいいところとか、これは、
(σ^~^)σあやすぃ~、とみるべきではないでしょうか。
わが愛すべき(?)Y氏なぞは、レファ・ダメ論です。
なぜダメなのかは、あまり多くを語っていませんが、近著によれば、「コア・コンピタンスとしては有効だが、プロダクト・デザインが全然だめ」なのだそうで。
――別の人:貸出がダメなら、レファレンスと「何か」にすがろうとするので、かなり心配だと思います。
もはや米国において、「reference service」という看板はおろされているということを、もっとマジメに考える必要があるでしょう。
ちょっと前のTリンなぞは、「(米国で)読書相談へのゆり戻しがおきているのでは」と言っていました。
文化・教育・情報の3つの側面に図書館機能をわけた場合、米国図書館界は、1920年ごろから情報(つまりレファ)で、のしてきた(社会的威信を調達してきた)のですが、ここへきて、情報が、テクノロジーのほうへかなり吸い取られてしまい、教育、文化へ回帰するベクトルが生じたということなのでしょう。
――個人的には、調査部門と合体している○○○ならばコンテンツを作成できる(+コンテンツを作成できる人材を組織的に育成できる)のだから、それを上手に使えばいいのに、と思っています。
――別の人:どうも、コンテンツのいれもの作りに一生懸命で、コンテンツのなかみには、興味が無い人も多いようですね。
たしかに、ほんとうならこんなとこ(失礼!)に来ないような人が、(S岩さんのような人の書いたものにだまされて?)来てしまうということがありますね(σ・∀・)
わたしも入○まえは(人民主義者でもあったので)、

学者もどきが来館者に直接答えてくれるなんて、すごい!

と、一般考査局に過剰な思い入れを持ったことがあります(ってか、今でも持っているのかも(^-^;)
――「各分野の一流の人を招聘し、一同に会することで一国の文化を隆盛に導く」というのは案外悪くないアイデアですね。

文化:新規コンテンツの生産
教育:基本コンテンツのインストール
情報:既存コンテンツの横流し

上記のように考えれば、コンテンツの生産にもっと関わるということでしょうか。
まあ、Y氏の、文化情報資源のなんたらかんたらに影響されているといえるでしょうが。
〔略〕
レファレンスも、「最小理論」でしか答えないなどというどこぞの一般考査局のマジメっこ達で終わっていては、社会的に不要になっておわりでしょう。
レファをやるにしても、コンテンツの生産に片足をつっこむ必要があると思います。
もちろん、調立にひきよせられてきちゃった人材の活用の場でもあります。
ではでは(´∀` )

我ながら真面目に考へてをるのぅ(*゜-゜)
10年たって、事態た構造はほとんど変はらず(゜~゜ )
それが問題