書物蔵

古本オモシロガリズム

我らがシチローたんの書評論(1933)。そのパターンについて

我らがシチローたんの書評論。そのパターンについて
ざっさくプラス、少しづつデータ殖えとんのね(@_@;)
シチローたんの新しい文章に接したことであるよ( ´ ▽ ` )ノ

  • 增田七郞「讀書と旅行」『旅と傳説』第7年(8)p23~25(1934)

どうも又、堅苦しくなつたがもう一度逆戻りしやう。読書を旅行に比較したら、書評(ブツク、レヴイウ)を紀行文にたとへても良いと思ふ。紀行文に長い歴史があるやうに、書評にもかなり古い変遷があるやうである。紀行文はさておき、書評といふものが今日の日本では何となく方にはまつて来たかの感がなくもない。主として学術書の場合であるば、まづその書の扱つた学術の今日に於ける情勢の概述、著者の紹介から、内容の紹介、長所の列挙、而して不満な個所の若干をあげて、「とはいふものの」斯学に於ける貢献は大であると結ぶ――。まさかいつも此通りではないが、之が普通の形式らしい。かうした型は何とか打破せられないものであらうかと私はよく考へるが、結局思ひ付かないで仕舞ふ。(八年一月)

ブックレビューを漢語「書・評」と呼ぶようになったのは昭和初年にて。
シチローたんがその新語を駆使してうがった書評論を展開しているのはさすが。