書物蔵

古本オモシロガリズム

都市伝説?

書物蔵:古本オモシロガリズム‏ @shomotsubugyo

書物蔵:古本オモシロガリズムさんがをリツイートしました

複数スジで裏を取るのはいいことだけれども

その複数が妙に同じパターンにはまってゐる場合は、むしろ出所は同一か、ある種の都市伝説で類型化したことを疑ふべきかと(σ・∀・)σ https://twitter.com/aso_kamo/status/928534757339779072

書物蔵:古本オモシロガリズムさんが追加
このツイートはありません
11:48 - 2017年11月10日

4件のリツイート
7件のいいね
king-biscuit
thronK85
R・ロイヴァーン
カエル
腐れマーズ三等星
約翰/ラヨシュ=ヤンチ/Xochimeh
Yoichi Hirai
ネコテルミン
半覚斎

1件の返信 4件のリツイート 7 いいね
書物蔵:古本オモシロガリズム ツイート内
テキスト

新しい会話
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

返信先: @shomotsubugyoさん

「それは今日の朝刊が事実を報道していることを、その朝刊を何部も買いこんで確かめようとするのと同じである」――ウィトゲンシュタイン『探究』第一部二六五節。恐らく印刷革命以降、起源によってではなく複製の大量同時流通によって獲得される現實感がある。蓮實重彦『帝国の陰謀』「IV 署名」參照。
1件の返信 1件のリツイート 2 いいね
書物蔵:古本オモシロガリズム‏ @shomotsubugyo
11月10日

文献参照、すなはち、referenceを行ふ、つまり、refer to する際には、情報源をたどるわけですが、それはテキスト復元にも似て。

いくつかの系統と、原テキスト、という感じの系統思考になりますな。
1件の返信 1件のリツイート 1 いいね
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

「注というシステムのなかに精確に原典を引用すること、これが文献学の学問的客観性の最高形態である。そして、ここではもっぱら、書きつけられた知、印刷された知[…]だけが対象とされ、[…]つまり、書物の世界あるいは複数の書物間の〈引用〉の世界が特権化されてくる」原克『書物の図像学』p.55
1件の返信 0件のリツイート 2 いいね
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

逆に文獻學を範型とする近代讀者には、全てを書物の網の目で覆ひ盡し、世界體驗は文獻への參照で代用され複製濟み書物から引用可能にされねばならぬといふ顛倒した觀念がある。取り分け記述的學問は現實世界を書物の世界(ポパー風に言へば「世界3」)に複製することに奉仕し、世界の異本を制作する。
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
書物蔵:古本オモシロガリズム‏ @shomotsubugyo
11月10日

>世界の異本
なるへそ。
でもそれって、1/1の世界地図に似てますな
1件の返信 0件のリツイート 0 いいね
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

http://s33tt.web.fc2.com/is/ocr/shiryou13-5.html …一分の一の地圖は役に立たぬとは、忠實に眞であらうとするあまり精細に過ぎる記述に陷った民俗學徒に對する指導教官の言だったが……書物において縮約版や縮刷版が異版であるのと同樣、現尺との比率がそれぞれに異なる縮尺版は異本を成し、それらは既に別世界の創造でもある。
1件の返信 2件のリツイート 3 いいね
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

異本群の重なりを眞なる同一性と見做すのは、裁判において權威よりも複數の證言の一致の採用が優位になったのと同斷か。フーコー「真理と裁判形態」參照http://www.sociallibrary.jp/entry/448079025X/ …。「理論上いつでもどこでも際限なく反復されうるものとして」「現行犯モデルを一般化」する「調査のタイプの知」の導入。
1件の返信 1件のリツイート 1 いいね
書物蔵:古本オモシロガリズム‏ @shomotsubugyo
11月10日

道教官って、曽根先生?
1件の返信 0件のリツイート 0 いいね
新しい会話
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

曾根博義は近代日本文學專攻なれば民俗學徒の指導教官に就くべくあらず。
原寸大の地圖は不用、とは、『旧可児郡〈口承〉資料集』(名古屋経済大学地域社会研究会、二〇〇六年。CiNIi・NDL所蔵無し)等に結實する藤久真菜の「記述」の試みを見せられて教官の藤井貞和が吐きたる文句、と傳へ聞けり。
1件の返信 1件のリツイート 3 いいね
書物蔵:古本オモシロガリズム‏ @shomotsubugyo
11月10日

このまへの読書史図書館史でも、どのレベルで抽象化すればよいのか暗中模索いたした次第でござる〜
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
king-biscuit‏ @kingbiscuitSIU
11月10日

口承のもの言いがそういう「原寸大」を意識させてゆく契機になった可能性もあったりせんですかね。
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

書承よりオリジナルの口承に接近せよとの命題を素朴に受け取ると、一分の一地圖作成みたいなテープ起こしになりがち。が、それを裏で支へるのは忠實な再現を機械的に擔保する録音録畫裝置といふメディアであり、それらとどうしても人爲が混入する書字との差異はキットラーのメディア論の要所でもある。
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
king-biscuit‏ @kingbiscuitSIU
11月10日

録音機器が介在する以前の口承とそれ以降のとでは、おそらくその「原寸大」性のまつわり具合が格段に違ってたんでないかと思います。
1件の返信 1件のリツイート 2 いいね
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

録音機の登場後でも、重たいデンスケを背負ひ收録時間にも制限あった時代と、小さく目立たぬICレコーダーで自然な雜談まで含め氣兼ねなく記録できる時代とでは、採録對象が變ったさうで。飯倉義之「採訪の技術史」『学生研究会による昔話研究の五〇年 フィールドワークの記憶と記録』2005、を想起。
1件の返信 0件のリツイート 2 いいね
king-biscuit‏ @kingbiscuitSIU
11月10日

こちとらよく揶揄しとりましたが「●●話級の伝承者」的な「評価」がこれまた自明の価値観として共有されとる、気色悪い世間でした、昔話研究界隈は。
1件の返信 0件のリツイート 0 いいね
森 洋介‏ @livresque2
11月10日

按ずるに、口承文藝の中でも傳説や世間話より特に昔話研究が榮えたのは、所謂「發端と結び」の句があるため不定型な發話の流れから容易に切り出せ、「話」單位で算へ上げたり排列したりする操作をしやすかったのが大きい。これは、書承においては參照可能性・引用可能性に通じ、文獻のカード化に近い。
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
新しい会話
森 洋介‏ @livresque2
11月11日

カードに摘記した要點を纏めて一册の本が書き上げられる。別の著者はその本を讀み込んだ上で關心する要點をまた自分のカード式索引ボックスに收納する。「書物は、もはや今日、ふたつのカード式索引システムのあいだをとりもつ一介の「周旋屋」にすぎなくなってしまった」――原克『書物の図像学』p.181
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
森 洋介‏ @livresque2
23 時間23 時間前

原本からカードへの要約の如く、原物から諸々を捨象したテキスト化において引用可能性は成立する。「文献学の対象となるテキストは、固有の特徴を大幅に捨て去ることによって[略]作られたのである。」「初めは朗唱及び仕種に関する要素はすべて、テキストに関連しないとみなされた。そして後には→
1件の返信 0件のリツイート 0 いいね
森 洋介‏ @livresque2
23 時間23 時間前

→筆記形態もそうみなされるようになった。この二重の操作の結果として、テキストは感覚でとらえうるあらゆる要素を除去され、徐々に物質的性格を失うことになった。」
「テキスト・クリティックはある決然たる決意のもとに、テキストのもつ再現可能な部分(初めは手写で可能な部分、グーテンベルク
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
森 洋介‏ @livresque2
23 時間23 時間前

以降は機械的に可能な部分)だけを考慮するようになった。」カルロ・ギンズブルグ「徴候――推論的範例[パラダイム]の根源」『神話・寓意・徴候』p.196・197。
「すなわちそれは、他のあらゆる感覚的要素を奪われ、そのうえ灰色の単彩画に変えられてしまった可視性なのだ。」フーコー『言葉と物』p.156
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
森 洋介‏ @livresque2
22 時間22 時間前

ギンズブルグも活版印刷へ言及する通り、ここでも再現可能性の條件にメディア技術の制約があった。引用可能性や複製可能性とも言ひ換へられよう。萬象の觀察・記述が書物フォーマットに覆はれるにつれ顛倒が生じ、そこで反復可能なものだけが認められそれ以外の一回性・個別性等は認知されなくなる訣。
0件の返信 1件のリツイート 0 いいね