書物蔵

古本オモシロガリズム

慶応が役人を出してゐた頃

宮地 正人「明治一桁代が面白い」『歴史書通信』No.230 p2-5(2017年 3)
にこんな部分が(p.5)。

この従来になかった異様で開放的な雰囲気は74年2月、荘田平五郎宛書状において福沢諭吉をして

学問のすすめは七編迄脱稿、此節は余程ボールドなることを云ふもさし支えなし、出版免許の課長は肥田君と秋山君なり、大丈夫なる請人にて面白し」

と述べしめる迄になっていた。慶應義塾出身の浜五郎厄介肥田昭作と旧長岡藩士秋山恒太郎は相継いで文部省准刻課長となっていくが、この書状執筆時点では、文部卿木戸孝允は岩倉・大久保政権と一線を画し、福澤との協力関係を模索している時期にも当っていたのである。