書物蔵

古本オモシロガリズム

不良記事の明示は、1919年1月から

以前から、内務省図書課、あるいは警察がどうやって出版者に発禁命令を伝えてゐたのか疑問ぢゃった。
以前、大正10年に使われた新聞発禁の命令書と、大正の年号のはいった単行本発禁の命令書を紹介したことがあるが、これがいったいいつから、というのはわからんかった。

○新聞紙発売頒布禁止の事項指示に関する件
(大正八年一月二十二日秘第一〇七号/警保局長依命通牒)
従来、新聞紙の発売頒布禁止、並に差押処分、相成候場合に於いては、当該事項を指示せざる例に有之候処、斯くては世の誤解を招き、又は記項の修正改刷に便宜を与へず、却って取締上、面白からざる様被存候に就いては、自今、処分命令には、必ず其の事項を明示〔す〕可〔く〕相成筈に候条、発行人に対し貴官より処分御伝達の場合に於ても同様、御指示相成度。尤も明示の方法は号数の次に何何又は何何と題する記事と記載可相成に付、此の方式に則り御伝達相成様致度。※全句読点は引用者が挿入。

1919(大正8)年の1/22から、内務省図書課から各県警に発禁命令を伝達する際には、必ず不良記事を明示するから、発行人に命令を伝達するさいには同様に、不良記事を伝えてちょ、というもの。
逆にいうと1919(大正8)年までは、不良記事の明示はされてこなかったといえる。
「明示の方法は」と命令書についての指示があるが、書式全体は提示されとらんので、これはおそらく、すでに全体フォーマットはあった、といえようか。だからこそ、その部分「号数の次に」などといふ指示になってをるのだらう。
不良記事の明示をする理由は、「世の誤解を招」かないようにとある。これは開明的といはんか。
「記項の修正改刷に便宜を与へ」るためというのは、まさか同じ号で異版を刷らせる、ということなのか。たしかに大新聞の場合、1日に同じ号数で数回刷るから、「記項の修正改刷に便宜を与へ」ることにはならうかと思ふ。