書物蔵

古本オモシロガリズム

麒麟の会と中野書店さん

中野書店(二代目)さんの逝去がネットに流れた。んで、中野書店の店舗のほうでも書店の歴史を回顧する展示があるようなのだけれど、どなたかがネットで紹介してくれた過去記事にオモシロいことが出てきたのでメモ。
http://wayback.archive.org/web/20010411012921/http://www.jimboucho.com/bookstore/001/body.htm

中野書店略史

上記の記事によれば、初代が久留米(九州)で古本屋を始めたのは1947年ごろ。初代が兄とやった出版社が立ちいかなくなり古本屋に業種転換し、1959年まで久留米の古本屋だった。その後しばらくして三鷹(東京)の駅南側(桜通り)に出てきた。ただその店は1975年に火事で焼けてしまう。その数年後、新築された神田古書センターに進出。
手塚「新宝島」に25万円を付け、小田急の古書展に出したのは1976年ごろ。それでマンガの印象が強いが昔から全ジャンルを扱う。センターに進出するまえに吉祥寺の「近鉄」でマンガだけの即売会をした。
神保町に来てから出版(マンガの初期作品集復刻)にも進出。
だけどびっくりしたのは次のとこ

こんなところに麒麟の会が(*ω*;)´´

●それ〔稀覯本の扱い〕は久留米の頃からですか。
■中野 いや、久留米の頃はまったく街の古本屋でした。東京に出てきて、いろいろな影響があって、それできこう本を徐々に扱うようになったんでしょう。たとえば「麒麟の会」というのがあって、その方たちと徐々に親しくなってきて大衆文芸が目に入ってくるようになったし、あとは反町さんのほうにも行ってましたから、古い本のことも知識として入ってきました。そうやって徐々に広がっていって、うちのおやじさんが古本屋としてステップアップしていく中に、漫画も一部としてあったということなんですね。
麒麟の会」のスタンスがうちの大衆文芸のスタンスになっているといってもいいのではないかと思ってます。子供のものもあるし探偵ものもあるし漫画もありますね。ですから漫画だけじゃないんですが、ただ漫画がマスコミに受けやすいので、どうしてもうちのことを取り上げるときに漫画に集中してしまうということがあるんですよ。
大衆文芸についても、今では「ドグラマグラ」というとすごいですが、あの当時は愛書家の中でも知っているのはごく少数の方だけでしたよね。ですからあまりおおっぴらではないんですが、当時のコレクターの方にはいいものを持っている方がいらっしゃいます。私どももかなわないかなあ、と思う方がいますよ。

なんと(@_@;) 麒麟の会がここにも!(゚∀゚ )アヒャ