書物蔵

古本オモシロガリズム

金沢の古本屋「南陽堂書店」の初代は、実は文化人だったΣ(゚◇゚;)

あの南陽堂さんて、やっぱりスゴかったんだんだあΣ(゜∀゜;) 
こんな展覧会があるといふ。

南陽堂書店」主人が愛した夢二 — 柳川昇爾コレクション新収蔵記念展 開催期間 2014年7月19日(土曜日)〜2014年9月28日(日曜日)
09時00分〜17時30分
入館は17時まで 開催場所 金沢湯涌夢二館
金沢市湯涌町イ144-1
電話番号076-235-1112

Mさんが2010年9月2日(木)12時ごろ南陽堂爆笑事件を起こしたことは一度書いたっけ。生まれて始めて、「ナスそうめん」なるものを食ふた旅行であったヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ

9/2木 12:00 近場の古本屋めぐり。南陽堂さんで、tさんに東田平治『微かなる光』を拾ってもらう。2冊目。今回の旅行で最大の爆笑事、発生す。稲村テッチャン宛の和菓子を購入す。
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20100913/p4

その顛末はここに書いた(σ^〜^)σ

栄養失調で死去した古本屋さんとは。。。三年前の大爆笑事件のとこ
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20130826/p1

我々が出会ったのは2013年8月ごろ、栄養失調で逝去した、ジャングル大帝のディープなファンだった人(二代目?)で、その先代の南陽古書店主、柳川昇爾(やながわしょうじ)が実はかなりの文化人だったらすぃーのだ。

先代の店主である故・柳川昇爾(やながわしょうじ)(1904-1978)はなみなみならぬ熱意をもって古書店を生業とすると同時に、竹久夢二(1884-1934)の熱狂的なファンにして蒐集家

だったとか。
な、なんと(*ω*;)´´かような研究まであるΣ(゚◇゚;)

ああ、この人って、

  • 高橋明彦「復刻の形而上学 : 版の概念をめぐるマンガの諸問題 (特集 復刻!)」『マンガ文献研究』(5) (-), 18-30, 2012-03

の人ぢゃん。この論文、近代書誌学、マンガ書誌学の基本になる素晴らしい論文だと思ったよ。
しかし、高橋明彦は柳川昇爾の没年を1983年に設定しとるね。「ホッコク新聞」(1983.11.24)の追悼文(高橋, 治, 1929- 小説家 || タカハシ, オサム によるもの)を参照しとるから確からしく、金沢湯涌夢二館が1978年没としとるのは、昭和から換算する際のまちがいかすら(゜〜゜ ) 高橋治は、初代の昇爾を「古書の鬼」と評してをり、二代目の若者に「古書の鬼」になれと書いているが… 二代目はじつは初期アニメの鬼だったのではあるまいか…(σ^〜^)σ

柳川昇爾(1904-1983)が証言する戦前の発禁本差押え事情

「柳川昇爾」で検索すると、たしかに近代出版史がらみの文献がみつかっておもしろ。たとえば。。。

  • 林藤彌三觔 ; 柳川昇爾 ; 玉村文雄 ; 福田菊觔 ; 吉田他吉「本屋商賣往來――座談会」『北国文化』5(57)pp.35-42(1950-09)

「発禁もの戦前戦後」という項目でこんなことが話題になっとる。

南陽堂 石中先生行状記など政府が見解の違いから発禁処分にしたとたんに売行きが激増したように相当きわどいものなど発禁処分によって価値が上がって浮び上って部数が出ているのではないかと思う。
編集部 昔たとえば左翼本が発禁になった時と「チャタレイ」が発禁になったのと比較して警察当局の態度は同じですが。
林藤 全然違いますね。いまの方が厳重ですよ。いまでは発禁になると主人をよんで責任を追及ししますが、発禁で主人を呼ぶのは昔はなかったことです。
編集部 昭和四[、]五年ごろ左翼の雑誌の発禁ものをこっそり買うと酷い目にあったのでしょう。いまでも同じようなことはありませんか。
南陽堂 いまからみれば昔の取締りは寛大でしたね。私の知人が「建設者」というのを出版して私のところへ送ってきたので店頭においたところ、リレー式に警察の方から没収に来ましたが、そのさいでも「建設者」何部領置という書類をおいていくだけで、別段小言をいわれるということもありませんでしたね。
編集部 没収された場合はだれの損になるのですか。
南陽堂 没収された場合は警察の調書をそえて発行所なり、出版元へ送れば、そちらの方で認めて損を負担してくれます。

林藤というのは弥三郎、「宇都宮書店の大番頭で五十年も第一線で働いて」たという。「南陽堂さんは古本屋さんをはじめられてからもう三十年だそうです」とあるから、1950-30=1920(大正9)年創業ということだねぇ。
柳川ショージは本も出しとるね。

  • 袖珍鑑本草綱目 〔1〕前田利保/著 柳川昇爾 1928