書物蔵

古本オモシロガリズム

文芸時評を参照するには

拙ブログが、書評、年鑑、書誌といった、本(文献)をめぐる形式に興味ありありなのは御存じのことと思ふ。その割りに、文学(小説など)に興味がないのも、いぶかしく思はれとるかもしれんが。
さてここに、「文芸時評」をめぐるちょっとした論争もどきがあるのでメモせん。

文芸時評」欄の転載が『文芸年鑑(2014)』からなくなったそうな

この記事によれば、1957年版から続いてきた新聞掲載の文芸時評、その本文の再掲(転載)が、2014年版からなくなったといふ。そしてこの件に関して、

  • 待田晋哉「消えた「文芸時評」再録(記者ノート)」『読売新聞』(2014.07.22東京朝刊 ) p.13

という記事があり、この記事によれば、「代わりに今年度は、例年掲載される文学の総覧の項目を、批評家の田中和生さんが前年より長く執筆した」という。

 だが、複数の筆者の文芸時評が掲載された昨年度版と比べ、一人の筆者の総覧しか掲載されない今年度版の文芸年鑑の文学の項には多様性がない。(略)時評子の競演をまとめて味わえる場は、この年鑑しかなかったはずだ。

と記者子は「多様性」の減少を惜しんでいる。佐久間氏も、「〔多様性が大事なのに〕まさか『文芸年鑑』が真っ先に文芸時評のページをなくすとは」と嘆いている。

文芸時評を個々の作品から検索するには

まあ、一か所に集めて、「総覧する」「通覧する」というのは、「比較」の基本ではあるんだけれど(それに「楽しみ」でもある)、「調べ」という点からいうと、なかなかに効率がわるい。
よく、

ある作品(多くは名作)の、出たばかりの時点での評判を知りたい

という質問があるけれど(ってこれは、近年の「神話くずし」的研究手法が、学部生レポートにまで通俗化したものか)、さういったバヤイには、初出年の『文芸年鑑』を「通覧する」という方法がとれたわけだが(といっても1957年以降のみ)、これからはとれんということだわいね。この「特定雑誌通覧法*1
これまでは文芸年鑑やら戦前からの文芸新聞として定評がある読売新聞の時評を通覧するというのが唯一の方法だったんだけど。実は何年か前に

  • 文藝時評大系

なるものが出て、これはそれこそ、各種新聞雑誌の文芸時評記事の復刻なんだけど、これの索引がかなりきちんとできていて、作品名や作者名か引けるというスグレモノ(o・v・o)b
じつはこれ、まだ中途半端にしか存在しない、明治大正昭和前期の初出索引としても使えるといふのは、ここだけのヒミツね(o^ー')b

*1:拙者の考案せる造語。ここでは年鑑だから、正確には「特定逐次刊行物通覧法」ね。