書物蔵

古本オモシロガリズム

すべては目録にはじまる?:趣味発、目録経由、研究行きo(^-^)o

うーむ(゜〜゜ ) なかなかに含蓄あるお言葉。。。

ちしめんどう・きゅうさいさんのHP「XX文学の館」(エックスエックスぶんがくのやかた、とでも読むのかしら? それともバツバツぶんがく?)を随時参照することがあるのだけれど、そこにある「別冊太陽「発禁本III」ちょびっと補遺」の本体部分でない口上書きがなかなかに含蓄があるのである。
http://www.kanwa.jp/xxbungaku/Reference/Taiyo3.htm
戦前エロ本に限らず、書物蒐集一般やひいては調べ物一般に通じるようなことを言ってをられるのだ。
次に、引用しつつ思ふところを。

その1冊が

どの様な分野の蒐集でも、特定の分野を突き詰めて行くと壁に当たる。見ることも不可能な稀覯本であったり、高価すぎて手が出なかったり、揃い物の一冊が抜けていたり、と事情は色々であろう。

わちきなぞ、近年、所有欲は最近減少し、読めれば結構という境地になりがち。でも、その読む、ってーのが、意外とむずかしい。たとえば、平井通について「こちゅうあんきぶん」は、アマゾン・マケプレで安く入手して読んだけれど、ぢゃあ、おなじ平井についての「蒼太の美学」は、こりゃなかなか高いし、ぢゃあ、図書館ではといへば、趣味本とて軒並み所蔵がない(あの国会にもない)。なぜだか(というか、一時期、人物がいたのだらう)都立中央にあって、ああ広尾に行かねばなと思う次第である。スジの通った「蒐集」でない、ただの「調べ物」ですら、こんなチョーシで、ほんに、知りたひと思ふても、肝心のその文献が見当たらぬといふことはネットが発達した現在でもあることである。

趣味本なら残りやすい

地下本や発禁本という分野に於いても事情は同じである。世の中に存在しないことが前提の戦前の発禁本は、全てが稀覯本とも言えるが、違法とも言える頒布方法を採ったものは存外に残っている。

「違法とも言える頒布方法を採ったものは存外に残っている」というのはなかなかに意味深な言明で、まさしく真理(一般的傾向)といへやう。法律にこうあるからこうだ、とて、法律からしかモノを考へられない人は、司書でも学者でも必ずまちがふとさへいえる(゜〜゜ )
また、戦前のエロ本は、実用書といふ面と、趣味本といふ面の両面があらう。逆に、本当の実用書は根こそぎ保存されないといふことがある。

「出てきて初めて存在していたことが確認され」るという「結果のみの世界」

残っていないのは、頒布前に摘発押収されたもので、流石に手に入り難い。そもそも、存在するのかどうかを推定することすら出来ない。無いなら無いで仕方がない、と諦めもつくが、ひょっこり出てきたりするので始末に負えない。出てきて初めて存在していたことが確認された、という結果のみの世界である。

こういったことは、たまに起きることで、たとえば「変態十二史」はひとつ、「変態交婚史」が頒布前差押えで代わりの企画にさしかわり、その意味では13点あるが、蒐集上は12点で完揃いとされていたものだが、森さんが高円寺だかどっかで低廉な価格で拾ったという。
さすがにクレス出版の「十二史」復刻では「交婚史」も復刻され、これは監修者の紀田順一郎先生がお持ちだったのかどうか不明なれど、森さんいはく「自分以外にも、ちゃんと持ってる人がいるんだなぁ。自分が公表せねばらなん義務がはずれ、よかった」とのことぢゃった。
神保町の大手・中野書店のネット目録にも記述がある。「実はこの本は発禁押収となったため一般には出回らなかったと言われるのですが、なぜか稀に見かけることがあります。」とのこと。
http://nakano.jimbou.net/catalog/geta_themes.php/gtID/17

世に隠れたる蔵書家

本来は、出てきて初めて確認されるというのもおかしな話で、以前の所蔵者はそのことを知っていたはずである。〜 それが、公にならないのは、外に向かって発信しないからであり、「真の蒐集家は蔵書の自慢はしないものである」なる言葉を聞いたこともあるが(公には知られていない大蒐集家は大勢いそう)、〜

だからせめて目録を、と友人らに言ってたら、「目録をつくるのだって、ひと仕事ですよ(。・_・。)ノ 現に、大久保さんの目録採録だって、それにまきこまれた人は大変な思いをしたと、このまえ聞いたじゃあ、ありませんか(σ・∀・)σ」と言はれてしまった(;´▽`A``
げに。。。(^-^;)
いやサ実際、この道(古本蒐集道楽)に這入りこんでから8年目にしてやうやく近年興味をよせとる分野で大コレクタ―が2名ほどおられることを知ったよ。でもこれらの人は表には出てこないんだよなぁ。。。

書目・蒐集は作るもの→「よし、俺も」

きゅうさい氏はさらに続ける。

地下本ではその傾向が更に顕著である。秘密裏に出版するのであるから、刊行書目のようなものは、はなから存在せず、江戸艶本と異なり、蒐書目録のようなものも無いであろう。しかし、千を単位とする数が刊行されていることも、ほぼ間違いない。突き詰める所か、集め始める前から既に壁にぶち当たっているという情けない状態が出発点である。

初手から書目などないジャンルもあるといふこと。
まあこれは書籍にかぎらず、あらゆるコレクトに通じることだけど。
ある程度集めることによって、全体像がおぼろげながらわかってくる。

別冊太陽の発禁本シリーズは、その点からも評価されるべきものであろう。初めて公開された蒐書目録なのであるから、「わぁ、スゲー」ではなく、「よし、俺も」となる人が出てきて欲しいものである。

んで、氏は、僕もやるから君もやれ、神田にゃエロエロ艶本が待つ、といっているのだなぁ。
ん?(・ω・。) 酒井潔のエロエロ草紙はそろそろ復刊されたかな(。´・ω・)?

出版物はみなニセモノ

そこに一冊あるということは、他にもほぼ確実にあると思って間違いない。肉筆ではなく、印刷物なのであるから。

友人がよくいうのだが、「出版物はみんな最初からニセモノですよ(σ^〜^)」
そう。出版物は初手からみな複製物しかない。その伝でいへば、初手からすべて、ニセモノでもあり、ホンモノでもある。そして、複数部ある(あった)と見るのが正しいのだ。

しかし、そのようなものが出てきたからといって、全く手が出ない程の高値であることは少ない。サラリーマンの小遣いとしては法外でも、高価すぎて手が出ないという程の壁は最近はあまりない。あるとすれば一括で出て来た場合であろうが、これはどの分野でも同じである。余力のある人が何とかしているのであろう。

「余力のある人が何とか」してほしいもの(σ^〜^)
ある人に数年前、
「キミ、物を集めるには金をかけなきゃ、ダメだよm9(・∀・)ドーン」
といはれ、びっくり(+o+)したことがあったが。

個人で特定の分野をまとめきるのは難しい。地下本や発禁本の世界に於いては特にその感が強い(誰でも自分の分野が一番難しいと思っているのでしょうが…)。従って、入手した人は何らかの手段でそれを公開して欲しい。稀覯本だからといってしまい込まないで欲しい。そこから新しい展開がなされる可能性を信じて。「発禁本」シリーズがその嚆矢である。

「入手した人は何らかの手段でそれを公開して欲しい。」
げに。
せめて目録でも作ってほしい。
たとへば、最近、バラバラに空中分解しながら、その断片が千代田図書館や慶大図書館、某社などへ収蔵されつつあるみまさか・たろー旧蔵の出版学コレクションも、一度、大久保久雄さんによって目録が作られてをる*1。それを見れば、さらにいろいろ得るところがあらうとぞ思ふが、こまったことに、この目録がまた稀覯なんだよなぁ。。。(´・ω・`)

*1:美作太郎 書誌 <大久保久雄> 「文献継承 21」 金沢文圃閣 2012.09 p12-19