書物蔵

古本オモシロガリズム

2022年の書物蔵

2022年4月のある金曜の午後、店番をしていると、機嫌のよいオタどんがやってきた。
古書展でいくつか拾いものをしたのだといふ。また戦前のトンデモ本で珍しいのがあったとか。それがどうしてトンデモ本であるのかについて詳しく伺う。
機嫌のよいオタどんがやってくるとわちきはすかさず喫茶タカノに電話をかける。
オタどんに出す紅茶代なぞ安い投資ぢゃ。
わちきが古書店「書物蔵」を始めたのは2010年代のおしまいのこと。まだ先帝の時代ぢゃ。その頃からオタどんはうちの常連。でもなれそめ(?)は2005年前後のブログ・ブームの際、たまたまネットで知り合ったんだわさ。けど、オタどんの文学史・トンデモ史の知識をみてタダものでないと思ったね。それ以来のつきあい。
なにせオタどんの持ってくる話は、初耳の話が多く、仕入れた人名や団体名をもとにさっそくネット検索をし、せどることで少しでも家賃の足しにしたい、というわけ。オタどんは本職は○×だったらしいが、『大日本帝国に咲いた西欧文華・スメラ学塾:原始、日本人はシュメール人だった!?』なる著書でトンデモ研究に仲間入りし、それをSF仕立てにしたスパイ戦記ものを書いているとか。オタどんの知識を使えば、500円の饅頭本がプレミア・トンデモ本になるのぢゃ。
しかし考えてみれば「せどる」という動詞は、わちきらが古本初体験をした昭和60年代にはもはや業界でも使われなくなっておった言葉だが、その後、日本の書籍小売業界は、ブックオフという仕入れ先、アマゾン(のマケプレ)という販路が新しく成立したせいで、せどり師ならぬセドラーなどという職業が生まれたのだからびっくりしたことだった。
かわりに街の古本屋はみな廃業してしまい、残ったのは専門店化してこの神保町に進出した店か、ネット古書店になったところだけだった。平成のはじめまで古い商店街にかならずあった古本屋がなくなったのは当時、古本を買う側だったわちきにはさみしいことだったっけ。
その後、悪友にそそのかされて、早期退職。特殊な古書店を始めてはみたが、これがなかなか大変。いやぁ、年とったら古本屋も紙モノをやりたがる、ということは聞いてはいたが、古本の重いのなんの。いまはわめぞモンパルナス文化人に収まっとる向井の旦那が柔道部だったというのは、これは職業上の必要性でもあったわけだ。
2010年代の前半に国立図書館が蔵書をほぼ全部電子化し、それをネット配信しはじめてから、本や古本屋も不要になるぐらいのことが言われたけれど、結局、本と電子本の両方をつかう読書人と、電子本しか読まない普通人の2つになっただけだった。一部のところを除いて、大学図書館や県立図書館にあった古本が大量に廃棄され、古書市場に安値であふれた時、往時の高原書店のまねして地方の倉庫に大量に買い付けたのが図にあたり。
これは2000年代に古書店がよいしてた頃に気付いたことだったんだが、図書館にはふつうにあるのに古書展にはでてこない類の本というのが結構ある。往時の古本屋は図書館廃棄本は相手にしなかったんだけど(ラベルとか剥がし跡があるからね)、やっぱりその頃、「痕跡本」とゆー、本の来歴そのものを楽しむ古本買いも流行ってオモシロがられてるよーだしね。
わちきは、「調べもの」のノウハウを生かして、そんな図書館本に来歴ポップをつけて売ったりもしとるんよ。まあ、紀田先生が1970年代に開発した「古本屋探偵」よろしく、裏で本探しも請け負っとるけどね。それは別料金ぢゃ。人文社会系なら、わちきの古本人脈で、大学院生の修論、博論指導なら裏でうけおっとるよ。最近、大学の教授たちは事務仕事ばかりで、ろくに研究も指導もできんよーになってしもうたようだからの。
ほんとうの図書館本(読書論や図書館関係書)のほうは、これはまあ店主の趣味みたいなもんぢゃ。むかし司書みたいなことをやっておっての。いやサ最初んころはこれでも楽しく頑張っておったんよ。評判もよかったし。なにせ、ホスピタリティーってもんが全くない事務員連のなかに元利用者が変装してまぎれておるよーなもんだからねぇ。だた、まわりがあんまりパープーなのといろいろ事件があってすっかりイヤ気がさしちまっての。
潰れさえしなければ古本屋のほうがよっぽど楽しいのだわさ。
お、紅茶がとどいたよ。これからオタどんの新発見をじっくり聞きだして、すかさず電脳せどりするのぢゃ。

参考

2022年春、今日も今日とて神保町で古本道. -- 神保町オタオタ日記
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20120214/p1