書物蔵

古本オモシロガリズム

取リテ読メ!(TOLLE, LEGE!):図書館省本省の広報誌『びぶろす』に載った記事

Tolle, lege. (take and read)

ネット上にいる人たちは紙資料をきちんと参照せんのだよなぁ。そんなことは1970年代から言われてることだよ、ちゅーことをくり返して、わちきの独創でござーい、などというカヲをしているのは困ったもの。
図書館論でも同様で、いまの図書館員たちよりかつての(まぁ1980年代までの、としておこう)図書館員たちのほうが、ずっとアタマもよく知識もあり読書もしていたんだから、こんなこと(ICTで図書館のあり方に影響が及ぶ)など、基本的な枠組みはきちんと推論できていたんよ。
ネットの住民たちには

取りて読め

とだけ言っておこう(もちろん、電子化図書でも可だが、電子図書のバヤイ、自力で読む気分になりづらいんだよなあ。物としての資料の教育力・感化力はあなどりがたい)。
その一つが丸昭(まるしょう)氏の、ってか丸山昭二郎先生の記事だったりもする。もちろん、当時は並行して「無人図書館」論もあったんだけど、たまたま昨日、以前の事情をご存知らしい方がつぎのエントリに「30年前のものですが いまのインターネットの環境を想定できないなかでしっかり見透していたとおもわれます」コメントしてくれたんで、『びぶろす』をひっくりかえして読んでみたら意外なことがわかったよ(。・_・。)ノ
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20111026/p2

『びぶろす』という雑誌があった

びぶろす / 国立国会図書館図書館協力部. -- 国立国会図書館図書館協力部, 1950-1998. -- Vol.1,no.1(1950年4月) - 49巻8号(1998年8月)
昭和25年から平成10年まで続いた雑誌である。「休・廃刊注記:以後電子資料 (Web)」とあるが、電子化されてからは、ぜんぜん読まんなぁ。って、しばらく前に米国の新聞の事例がネットで話題になってたけど、まだ出すつもりがあるんなら、電子化雑誌だけではダメで、紙も電子も両方やるのが正しい。紙をやめたら、電子もよまれんようになっておしまひぢゃ。『びぶろす』に対するに、『カレント・アウェアネス』がかろうじて紙も出しつづけたのは正しかったよ。もちろんわちきは紙がよいとか正しいといっているわけではなくて、現状では、権威性・読みやすさ・信頼性は紙で担保し、普及は電子に担わせるのが妥当といっているだけだが。
それはともかくこの雑誌は、もともと、アメリカさまのご指導で作った国会図書館の官庁図書館ネットワーク(ブランチ・ライブラリー、つまり分館)のためのものなんだけれど、単なる連絡誌で終わらんったのがオモシロいところ。
まあ具体的には総目次がネットにあるから見てもらってもいいけれど。
http://www.ndl.go.jp/jp/publication/biblos/backnumber/1950/bib50.html
さまざまな要因により、一般図書館雑誌、というか、どっちかというと図書館学雑誌といへるかもしれんような性格の啓蒙雑誌であったのぢゃ。ちやうど、一般向け読書・書物雑誌『読書春秋』と、図書館業界向け『びぶろす』、なかなか相互補完的でよかったんだがなー(*゜-゜)
もちろん来館者向け『ぶっくわごん』や、議員・国会職員向け『衆議院公報』『参議院公報』にクリソツな『国立国会図書館公報』も国会図書館史上はわすれちゃいけません(o^ー')b

人材の多様性

昭和2、30年代に国会図書館は人材が集まっていた。ってか廃止官庁(宮内省とか鉄道省とか)から有象無象が集まってたなかに旧満鉄の図書館やら調査部やら、もちろん国会の調査部、図書館経由でも人があつまり、語学の達人やら図書館のプロやら、もちろんマトモな役人(悲劇の第二代副館長中根秀雄なんかはコレ)がいた。このぐちゃぐちゃさが多様な人材として機能した。実態としてのサービス水準はいざしらず、少なくとも書き物はおもしろいものが多くある。

かねがね、”日本近代文学の書誌学的検討”とその可能性を信じ、嘗ってはその実践の場をとさえ思って図書館司書の世界へ飛びこんだつもりの私*1

こと、稲村徹元も、その一人だったりも(σ^〜^)

上からの近代化

1970年代まで、官庁図書館が予算、人員ともに優位であった(大学や企業に対して)。まだまだ上からの近代化途中であった日本だったのぢゃ。いま国会図書館は技術的には周回遅れであるようだが、1970年代には日本語処理の最先端をいっていた。海外の先端技術は、もちろんJLAなども媒体(『現代の図書館』の前身ね)を用意しとったけれど、『びぶろす』もまたその媒体として機能していたように思う。もちろん、国立図書館ならではの専門分化がプラスに働いて*2
それはともかく、1970〜80年代までの国会図書館には当時の業界的には論客がそろっていたと見てよい。

昭和56年の「場所としての図書館」論

その『びぶろす』にオモシロげな記事があると教えられたので、ちと読んでみると、これがなかなか。

  • 図書館と情報社会の未来像 / 丸山昭二郎. -- (びぶろす. 32(12) [1981.12])

全体はいまでいうICT、当時は「C&C(computer and communication)」と図書館の論議を、主に海外の話を基調にまとめたものなんだけど、最後のほうにこんなことを書いている。

12.図書館の未来像
 いろいろな人の著作やデータ、報道記事などを引用して、ひとつのストーリーを組み上げてみたが、図書館は今後予想される情報社会のなかで、どのように変わっていくか、最後に考えてみたい。 
 まず、特定の情報を得たり、特定の文献のテキストを入手するため、図書館に足を運ぶ必要はあまりなくなることは明白である。かつて、テレビが普及し始めた時代に、出版関係や図書館界の人々が、その影響について憂慮したことがあったが、今日の状況をみるとそれが杞憂であったことがわかる。今後も図書とか雑誌のもつ本質は、他に代替される要素をすべて取りさった、より純粋なかたちで残ると思う。同様に、図書館も当然その存在をつづけるわけだが、サービスの内容は変化し、ある種の機能は他に代替され、その本質的な部分がますます明らかになってくる。(p.13)

なるへそ、っちゅーか、当時の限定的な技術からでも、要素技術の基礎はあったんで*3、ちょっと考えればこのようなことを推論できたのだなぁということは、これは丸昭氏でなくとも、当時、館界では「無人図書館」論が結構はやっていたことからも明らかである。むしろ、丸昭さんは合理的に推論して、現在のインテルネット状況をも仮想してモノをいっているように思える。
が、丸昭氏のオモシロいところは、この直後にちょろっと、こんなことを書いている点。

 公共図書館の有しているコミュニティ・センター的な役割は、今後多様な情報媒体を駆使しつつ、ますます重要なものになろう。(中略)
 家庭がオフィスの端末機から、いながらにして多くの情報を摂取できる時代には、人とのふれ合いもまた重要になってくる。

後段が、まさしく「場所としての図書館(library as a place)」論そのもの。前半も、多様な情報媒体(これはおそらく、multi-medeia)が駆使できなかったので、重要なものになっていない*4、という点で、論理的にきわめて正しい。
根本先生あたりが、米国の議論から「場所としての図書館」論を鼓吹するけれど、論としては昭和50年代から、論理的必然として日本であったんだなぁ、ということがわかってオモシロぢゃ(o^∇^o)ノ
しかし、あの目録法の大家、マルショーさんが、公共図書館を場所として評価していたとは。。。(*゜-゜)

*1:『追悼・大久保乙彦』 1990 p.161

*2:大組織ゆえの分業と停滞ぎみの人事がプラスに結びつき専門家が育った。逆に人事を早く廻すと全員がなんでもできるがなんにもできない素人ばかりになり、書誌調査もせずに所蔵調査をしちゃうレファレンス・ライブラリアンとか、戦車の写真集を軍事に分類しちゃうようなキャタロガーが出現しちまうんだけどね。ん?(・ω・。)、何いってんだかワカランってか(σ^〜^) 出版されとらん本の所蔵をしらべて「ウチにはありましぇーん」と回答したり、戦車が大写しの写真ばかりの写真集を、559の兵器でなく396の陸軍にぶっこむようなことを言ってをるんよ。

*3:この時代の一部、というかアタマのよい人々は、カードも使っていたんで、技術に対して現在よりむしろ相対的な立場をとりやすかったように思う。もちろん、当時でも、目の前のモノしか見れない人もいて、カードのへりが黒くなってれば利用頻度がわかるなどと嘯いていた人もいたわけだが、それは、現在ただいま、目の前のPCだけ見てあれやこれや云うのと、実はまったく同じなのであーる!`・ω・´)o

*4:鈴木宏宗・渡邉斉志「図書館サービスへの課金」『公共図書館の論点整理』(勁草書房、2008.2)p.59-83