書物蔵

古本オモシロガリズム

新聞の第一面全面が出版広告でなくなったのは昭和12年から?

その昔、昭和の前期の新聞で、その一面がまさしく一面、出版広告で占められてゐたことは、通のあひだで知られてゐたことであった(参照 老舗の流儀 : 戦後六十年あの本の新聞広告 / 南陀楼綾繁著. -- 幻冬舎メディアコンサルティング, 2009)が…
その終はりについての記述といふのは初めて見た。
といっても、けふ手に入れた古本(古雑誌)に載ってたんたけどね(o^ー')b

「出版協会と妥協成り/読売の値上げ解決す/危機から見事に急廻転」『出版通信』(314) p.3 (昭12.1.1)

といふもの。
出版広告料の値上げをしたいと読売新聞が言ひ出したが、出版社側がイヤがっていたところ、読売側が、値上げはしないが、代はりに「書籍広告を一面の下三段と第三面に廻す」といふ決定をしたといふもの。『出版通信』の記者によれば「値上を契機に出版広告にエポックを画した」とぞ。
記事はさらにこのやうに続く。

読売が東京の対抗紙に率先して関西紙の如く第一面を記事にしたことは、「新聞の第一面は記事であるべきもの」と云ふ新聞の正道に立脚してのことであって、値上げの妥協成るか否かは問はぬものゝ如くであったが、この英断は出版界でも交換を以て期待してゐる、右について業界某有力者は語る
 第一面の広告は朝日、日日でさへ持て余したから早晩読に追従するのではなからうか、既に読の皇道が体制となってゐるのではないかと思ふが、併し読一紙が第一面を記事にして他が追従しなかった場合は多少の不利益は免れまい

これを読むと、
・大阪朝日など(?)関西の新聞紙はすでに第一面を記事にしていたこと
・東京朝日、東京日日などはまだ第一面が出版広告であったらしいこと
・出版社側も、広告費が値上げされても第一面がよいと思ってなかったらしいこと
がわかる。
ちょっくら確認してみたら、たしかに読売新聞は昭11.12.31朝刊まで第一面は出版広告だったが、昭12.1.1から記事になっている。